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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

9月19日付京都新聞・詩歌の本棚/新刊評

今年は茨木のり子の没後十年に当たる。文芸誌の特集号も出たが、『自分の感受性くらい』『倚りかからず』などは今も広く読まれ、愛読者は絶えない。何にも凭れず時代に率直に向き合った、詩人の凜とした姿勢が、今を生きる人の心を打つのだろう。第一詩集『対話』の巻頭詩は「魂」。終生内奥の声に耳を澄ませながら書いた詩人の生を象徴するかのようだ。茨木は同詩で自身を、王妃のように内奥に君臨する魂の「みじめな奴隷」だと述べる。その後も一貫して主体でも私性でもない「魂」を重心として書き続けた。この国の精神風土において、たしかに希有な詩人である。

 北原千代『真珠川 Barroco』(思潮社)は、「川」というモチーフを集中に張りめぐらせる。魂の起伏を丁寧に柔らかに辿る言葉は、煌めく水のようでもある。繊細かつ大胆な思考とイメージの展開を可能にしたのは、作者の豊かな日本語の力だ。古語、現代語、外来語を巧みに選択し、漢字とひらがなの開閉も美しい。「真珠川」は造語、「Barroco」はポルトガル語で「歪んだ真珠」を指す。作者の澄明な言葉は、生死の境界で歪む人の魂のかたちを、愛おしくなぞるのだ。

「川べりに/毀された真珠が息をひそめ/かすかなところにすまいしているものらが/水を曲げている/名まえを呼ぶと/おどろいたように水はふりむく」

「川べりに点々と散らされた歪な真珠は/ここにいたひとらが置いていった/地図に名まえのない小川のうねりに沿って/しろじろとかがやく//どこまで遠くゆけば/このふるえる双曲線を 美しいとおもえるだろう//水音の底ふかく/砕かれた天窓が映っている/やわらかくなれ わたしのあしくびよ」(「Barroco」)

 服部誕『おおきな一枚の布』(書肆山田)は、四年前会社を退職した作者が、通勤電車での記憶をモチーフとして、魂を「現場」に浮遊させつつ、光景を詩的幻想として蘇らせる。それらが虚構を超え、鮮やかな実在感をもたらすのは、長い間詩から離れながらも、(むしろ離れたからこそ)作者が密かに培ってきた言葉と思考の力があるからだ。社会的事件として、日航ジャンボ墜落事件と阪神淡路大震災も扱われる。前者の詩「六歳としをとった」は、六年後再びやって来た「八月十二日月曜日」、一人の男の魂がついに大阪に戻ってきたという設定だ。

「やわらかなビジネススーツを着て/剣のように細いネクタイを締め/黒い影のアタッシェケースを持った光は/今日一日の仕事の疲れのせいで/ジャンボジェット機が滑走路を離れるまでに/すでに座席の中で眠りに落ちていた/日本列島のかたちをかたどってひろがる/光の明滅を見ることはなかった」

「離陸から五十分後/阪神高速池田線のオレンジの路面灯に沿って/なにごともなく伊丹空港に着陸したジャンボ機の座席で/永い眠りから目覚めた光は/いつもの出張帰りのように/六歳だけ年をとった/妻の待つ家へと家路を急いだ」

 後藤和彦『明日の手紙』(土曜美術社出版販売)は、宮沢賢治の「心象スケッチ」を想わせる、魂のプリズムから現れた光のような、言葉の柔らかさが印象的だ。

「月の晩には涙が降ると/つばめたちのはねをしめらすという/そんな夜には一人決まって/壊れるよりも感じることが大好きだから/青いあげはでさえも星空に透く/その銀の糸を辿っていっても/自分の輪郭ではないことを知るだけなのに/だけどひとはつぶやくしかない/こごえる喉はまたひとをぬらす」(「群青」全文)

論考「どこかに美しい人と人との力はないか ー五十六年後、茨木のり子を/から考える」を文藝別冊『茨木のり子』に書いています

文藝別冊『茨木のり子 』(河出書房新社)に、論考「どこかに美しい人と人との力はないかー五十六年後、茨木のり子を/から考える」を書きました。

「五十六年後」というのは、1960年から見ての今を指します。

同年6月、詩人は他の詩人たちと共に国会前での安保反対のデモに参加しました。今回の論では、紙幅もありそのことは少ししか触れられませんでしたが、昨年9月、安保関連法案法案が可決する直前に私自身が詩人と同じ場所に立った時抱いた言い難い思いから、茨木さんに問いかけるようにして、一気に書き上げたものです。

今回の本に収められた写真にある詩人のまなざしはどれも、若々しく凛と時を突き抜けてきて、私の心を不穏にざわめかせます。

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8月1日付京都新聞掲載 詩歌の本棚/新刊評

詩の月刊誌で投稿欄の選者となり半年が経つ。毎回幾篇かに私の詩観を揺るがすものがあり、興味深く思っている。20代30代の書き手の多くがテーマとするのは、自身を取り巻くディストピア的状況だ。「ディストピア」とは、核戦争などの大転換はなく、人間をめぐる状況がじわじわと悪化する「反理想郷」。昨今「ディストピア小説」が注目されるというが、では「ディストピア詩」はありうるだろうか。ただ言えるのは、この時代において人が詩を書くのは、ディストピアのネガとしてどこかにある根源的な希望を、いつか言葉によって掴み取りたいからだ、ということだ。

 為平澪『盲目』(土曜美術社出版販売)は、自己と社会をめぐるディストピア的状況を、身体的哲学的言辞によって描き出す。人を機械化し生きてはみ出すことを許そうとしない社会と、介護殺人に象徴される、親が子を束縛する家族という二つのディストピア。その二重の抑圧から作者は果敢に言葉を放つ。災いを目撃した者のように間断なく散文的に。だがディストピアの本質を身の内から言い当てようとする瞬間、切断面の煌めきにも似た詩性がそこに生まれるのだ。

「私は歩く/黒い服を着込んで/背中は 停電したままで/来たことも無い暗い道/でも いつか身を屈めて辿った/苦しい産道の指示表示のネオンに向かって/一本道のアーケード街の光を 目指す/私がエコーで 私の内部を見つめるように/私が心電図で 息をしていることが ばれないように/停電したまま停滞を続けて 這っていく/人間は大声を出して働く/電池が切れるまで/ネオンの色はすぐ変わる/見失うための目くらませ/スクランブル交差点から はみ出したいと 強く思った/信号が赤になったら 一目散に 走り抜けたいと思った/路地裏はそんな暗い跳躍力で 点滅していた」(「淋しい充電器」※「人間は…」から「…目くらませ」までは一字下げ)

 柳内やすこ『柳内やすこ詩集』(同)は、「新・日本現代詩文庫」の一冊として上梓されたアンソロジー。四冊の既刊詩集と未刊詩篇をまとめる。「私が宇宙だったとき、私には面白いように次々とメタフィジカルな詩が書けた。思春期にそうであったように。私が宇宙だったとき、それは私が妊娠・出産・新生児の育児という女性の人生で最も充実した時期を過ごしていたときである。」(「私が宇宙だったとき」)という作者のスタンスは、一見ディストピアとは無縁だ。しかしどんな状況でも、メタフィジカルな詩の美しさで状況を照らし返したいという思いは、詩を書く者が根底で共有する願いでもあるだろう。生と死を直接うたう詩に感銘を受けた。

「死者の場所を生者が満たすことはできない/封土を失った方形古墳/野晒しの石室にはすでに石棺もなく/ただ数十の巨大な花崗岩に囲まれた/荘厳な死の空間が開いている/日々多くの人々が訪れ/ひとりの高貴な不在の死者によって迎えられる//ひとりの死者にとっては/宇宙だって狭すぎるのだ/星々は誕生の瞬間から一心に飛び去って/宇宙は日増しに膨張するが/ある日気まぐれなひとりの死者が/軽やかに宇宙の果てまで広がってゆく」(「健やかな宇宙―明日香石舞台古墳を訪ねて」)

 中山敬一『二十四節気/生きる』(私家版)は、巡る季節と応答する小品集。

「登校する乙女らの嬌声の/生命の放散のまぶしさ/彼女らは朝露があったことなど知らぬ//足下/草木から蒸散するひかり/願わくば抱かれて/遠き涯(はて)」(「白露~遠き涯~」)

6月20日付京都新聞・詩歌の本棚/新刊評

今年は詩人黒田喜夫の生誕九十年に当たる(一九八四年没)。一月には出版社共和国から詩文撰『燃えるキリン』が出た。難解だが今最も学ぶべき詩人の一人だと思う。前衛の手法でプロレタリア詩に新たな可能性を切り拓いたが、その魅力は、現実の重みに耐えかね生まれる幻想のイメージや表現の斬新さにある。「燃えるキリンの話を聴いた/燃えるキリンが欲しかった」という印象的な二行から始まる、ダリの絵から触発された詩「燃えるキリン」。読み返してみると、その幻想の炎の色は、さらにあかあかと今ここにある危機を照らし出すようだ。

 船田崇『鳥籠の木』(書肆侃侃房)は、失意や敗北感という現在的で根源的な感情をベースに、そこからしか見えない幻想を炙り出していく。おとぎ話のような語り口だが、幻想のイメージは危機の陰翳を確かに孕む。

「小径を行くと/縁石の上で/白桃が西日を浴びている//貧者の国の/王女の気高さで/路面に一筋の影が落ちる//緩やかに/傾斜していく/一分一秒の腐敗と/私から/君から失われていく甘い水……//血のように/刺青のように/白い肌を滴り落ちていく悲しみに/私は/悴んだ手を伸ばした」(「白桃全文」)

 塩嵜緑『そらのは』(ふらんす堂)は、古えの日本語の美しさとゆたかさを意識的に用いながら、過去と現在、生と死、自然と自己を交錯させる。梢に「そらのは」がさやぐように、言葉の先端で亡き人々のいのちが蘇る。第2部と第3部は古えの貴人、上人、民衆へのオマージュだが、第1部のテーマは母の死の悲しみだ。前者の境地は恐らく後者の体験をくぐってこそ生まれたのだろう。

「菊の花のうつくしい季節に/母は死者となり//非在の家内(やぬち)に//一日前は言葉を交わした/二日前はみかんを食べた/その前は/その前は前は/などと」

「花がその命を終えて/花弁を散らすときに/途方もない力を生むものかと/思いもした//大輪の菊が/自身の重みに耐えながら/ある日 とつぜんに/その太い立派な茎の向きをかえて/ぐらりと/花首をまわす//菊は/どのように/飛んだのだろうか」(「菊がとぶ」)

 手塚敦史『1981』(ふらんす堂)は、固有の文法と文脈で言葉の破線を紡いでいく。きれぎれの詩の吐息は、現実に繋がれつつ明滅する幻想の、明滅そのものを伝える。ただ何らかの形で方法論を示す必要はあるように思う。

「いまは一房のぶどうが/皿の上のしずくを、数えている/空にのぼり気づかれないほど毎日の/些細な/あけくれに、かけることばも/持ち合わせず/雲影のコーラスに混ざる/その脈を浮かべた/あかむらさきの生物たちとともに/ゆっくりと進み/もはや他者が合いに来ることもない場所で/ずっと視線を、ダンスフロアの/自由な、映像の彼らの/吹き消されそうな、/日々へ、灼き付けている」(「ふたりのどこか」)

 荒木時彦『要素』(私家版)は、一人の男を探して旅をするという物語を、感情や情緒の表現を排しミニマルに描いた散文詩集。同じ内容を少しだけずらし淡々と反復する、抽象的なアートとしての詩世界である。これも幻想の乾いた描き方なのだろう。

「私は一人の男を探していた。その男は、街の電信柱に、自分で作ったステッカーを貼っていた。そのステッカーは、ダブルダガーに装飾を施したデザインだった。それが何を意味するのか、様々な憶測があったが、確からしいものは一つもなかった。」(「001」)

6.4『パルレシア―震災以後、詩とは何か』出版記念イベントのお知らせ

『パルレシア―震災以後、詩とは何か』出版記念イベント          

         映画上映+河津聖恵の詩とコトバ

日時:6月4日(土)15時〜

料金:2000円

場所:つづきの村奈良市学園朝日町4-4)

定員:30名

問合・申込:0742-48-1076(会場)、kiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp(河津)

【プログラム】

第1部・映画「自然と兆候/四つの詩から」

 (監督・岩崎孝正、2015年山形国際ドキュメンタリー映画祭出品作品)

内容:福島県南相馬市在住の若松丈太郎、河津聖恵らの詩を手がかりにしながら、露口啓二とチョン・ジュハの二人の写真家、また、「プリピャチ」を監督したニコラウス・ゲイハルターの取材に、それぞれ地元の案内役として同行しながら描く、福島と重なり合う言葉(声)と映像―。

※同作のURLもあります

第2部・「新刊『パルレシア―震災以後、詩とは何か』(思潮社)をめぐって」

(話と朗読・河津聖恵、チェロ伴奏・任キョンア、ダンス・飯田あや)

世界が静かにめくれていく

何者かに剥ぎ取られるのではない

おのずからめくれ上がり裏返るのだ

それは焼亡というより

深淵の夏の開花

季節を超えてしまった下方へ

冷たい暗闇を落ちながらひらく

花弁の感覚

                   (「夏の花」より)

「詩の中の言葉が声を求め、声は言葉に目覚まされた。発せらる場所を求めた声は、出口を見つけ、明るく平穏な七十年後の広島の空気に抱きとめられたー。その時放たれた声は、今も私の内部に戻って来ていない。声は通路を探し始めたのだ。新たな言葉と福島/フクシマへ向かう「声の道」を、今この時も一羽の小さな鳥のように探している。」

          (河津聖恵『パルレシア―震災以後、詩とは何か』より)

※当日は同書籍の割引販売も致します。

2016年5月2日付京都新聞「詩歌の本棚・新刊評」

昨秋神戸で行われた鈴村和成氏の講演記録「ランボー砂漠をゆく」(『イリプス』18号)で砂漠のランボーを知る。二十一歳で詩に別れを告げ、アラビアの砂漠で商人になった詩人ランボー。彼は生活の場としての凄まじい荒野だった砂漠で、多くの手紙を書き残した。晩年はイスラム世界に浸り、臨終にはイスラムの祈りを繰り返した―。ランボーの砂漠(イエメン)は今や危険で渡航出来ない。「ランボーが入って行った世界というのは、今我々が入ることができない世界」なのだ。120年以上の時を経て今、砂漠のランボーが現れる。私達に「世界という砂漠」を突きつけるために。

利岡正人『危うい夢』(ふらんす堂)の「ぼく」は、現在を覆う不可視の砂漠に身体を曝しつつ、覚醒と眠りの間で内外の砂漠化を微細に感じ続ける。脱出は出来ずただ自分から自分を剥離する。光さえ乾き屑となる世界で塵に乗る「ぼく」の、無声は激しい。砂漠と一体化したランボーの遙かな陰画のようだ。

「薄明のさなか/猛禽類の徒競走/感光体を気取って/マスクを装着する忘我/嘴を失くした/ぼくは咳き込む/地下にはもう眠る場所がない/掘り当てたのは眩暈だ/誰よりも速く階段を駆け下りる/まだ終止符はうたれない/光の漏れもない/口は塞がれていた/だが何を希求しているのか/ぼく自身わからない/どこか見覚えのある顔を/追い抜こうとしたそのとき/ガラス扉に激突する/これからは手探りで進むだろう/光を散乱させてしまった」(「薄明のさなか」全文)

 望月逸子『分かれ道』(コールサック社)は、原発事故や戦争によって壊れゆく世界の砂漠で、ひとすじの音楽に耳を澄ませつつ丹念に詩を紡ぐ。各作品の背景には人間のドラマがあるが、暗示にとどまる。平易でありながら絶妙な言葉の所作が、不可視の現実の広がりを読む者に感触させる。言葉の一つ一つが、世界がより良い共同体となるようにという祈りをこめて、丁寧に選択されている。

「帰る故郷のないわたしは/耳の底で起きていることを語った//ようやくあの二楽章が流れだした/今流れている ANDANTE//あなたはフルートを吹くときの首の傾げ方をして/わたしの話に頷いた//太陽の光を浴びて呼吸する若葉を繁らせ/葉の細胞が一斉に紅になるドミノを巻き起こし/余分な言の葉を一切もたず 冬を越し/梢の先まで桜色の樹液を巡らせ 花を咲かせることができたら/また この樹の下で逢いましょう//夕刻の風が河を遡(さかのぼ)るとき/あなたは振り返り 羽衣橋で大きく手を挙げ/まだ通ったことのない道を歩きだした」(「帰るところ」)

 mako nishitani『汚れた部屋』(澪標)は、痛苦の記憶の底で言葉への不信を抱えた女性が、大阪文学学校で言葉そのものの力に気づかされ、闇に点じていった詩の光の星座である。

「あたしのコトバは/まるでダルマみたいに手足をもがれていた/喘息みたいに喘いでいた/でもあの瞬間あたしは飛んだ、と思ったの//そしてどさっとマットに落ちた/夏の朝が/バーの辺りに引っかかってる//白っぽかった空が青に変わった/あたしはそうっとマットから下りると/何度も何度もバンザイをした」(「祝福」)

 田中国男『夏の家』(私家版)は、二十年前故郷で沈潜した一刻一刻から生まれた短詩集。

「ひじき煮るくらい父の里/隷属の骸骨を掘る父の里/どんな思想も詩もいらない/毛むくじゃらの犬になる君」(「父の里」)

『詩と思想』の投稿欄の選評を担当しています

詩と思想』の投稿欄の選評を担当しています(期間は一年)。

ご参考までに3月号(初回)と4月号の選評の冒頭部分(総評部分)をアップします。

なお、最新4月号には、巻頭詩「ベニバナ」も寄せていますので、ぜひご高覧下さい。

*3月号選評(総評部分)

「詩の身体のひそやかなあふれを」

一年間投稿欄を担当することになった。現在という時空の大気圧がいかにひそかに、よるべない一人一人を押し潰しているのか、そして痛みや悲しみは、詩を書くという行為をとおしてどんな幻の身体を起ち上がらせるのか。投稿作品を選評することはその生々しい現場に立ち会うこと、そして現在の特異な抑圧に抗う、詩の固有のエロスを感じ取る幸福に浴することだろう。盲目的であっていいと思う。闇の中でより黒い光を掴み取ろうとする言葉の手、詩の身体のひそやかなあふれを期待したい。

*4月号選評(総評部分)

「「それを通してすべてが消え去る輝き」を」

                              

イメージや発想がせっかく魅惑的なのに、物語や論理の薄闇、つまり「時間性」がいつしか詩の空間を覆ってしまい、それらの存在感を半減させた作品がいくつかあった。とても惜しい。私が好きな言葉に「それを通してすべてが消え去る輝き」(ブランショ『文学空間』)があるが、詩とはそんな輝く光になるべきもの、あるいはなりたいものではないか? 物語や論理からは「ポエム」は生まれても「詩」は生まれない。詩的イメージはまずは恣意的に生まれ、それゆえに激しく空間的である。そこに感覚をこらし、自分の奥に始まる言葉の共振に耳を澄ませよう。そして説明しがたく必然的なもの、つまり「空間性」の煌めきで物語や論理、つまり「時間性」を切り裂いてゆこう。それだけがこの時間の薄闇にあらがう詩的方途だから。

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