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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

映画『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』公開記念 詩人を偲ぶ秋の集い


来たる9月16日(土)から京都シネマで、先日このブログでもお伝えした詩人尹東柱の生涯を描いた映画『空と風と星の詩人』が上映されます。

 

この上映に合わせて、尹東柱が文学を学んでいた同志社大学でイベントが開催されます。

 

私もトークに参加しますので、是非ご来場下さい。以下イベントの概略です。

 

「映画『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』公開記念 詩人を偲ぶ秋の集い」

日 時:9月16日(土)午後14:00~16:00

会 場:同志社大学 良心館 RY208号室
参加費:無料
内 容:・2017年4月放送のRKB毎日放送の番組鑑賞 ・愛沢 革さんと河津聖恵さんをお迎えして 尹東柱の詩の世界と映画についてお話頂きます

 

尹東柱の詩「星をかぞえる夜」に出てくる秋の虫たちももう、詩人が聴いたのと同じ音色で鳴いています。そんな初秋の一日、詩人のゆかりの場所で、その詩と生を描いた映画をめぐってひととき共に考え、感じあい、詩人を偲んでみませんか。

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辺見庸 目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)

長年互いに惹かれあいながら、この対談で初めて会ったという二人の作家の対談集。明治から戦後72年も経つ今にいたるまで、国家の暴力にさらされてきた沖縄をめぐり、それぞれの立ち位置を見定めながら作家として生きてきた「個」の重みをかけて、語りあっています。

 

今の状況にどこかあきらめかけている私の「身体」の、思わぬ急所に突き刺さる怒りの言葉がそこここにありました。突き詰めればそれは、「政治と文学」が軋みあう鋭さと煌めきと共にある怒りです。遥かな対談の場所で語りあわれているそのときも、辺野古や高江で国家と対峙している人々の身体の痛覚が、二人に伝わっていたのでしょう

 

読んでいて、ため息ばかりが出ました。

 

私も沖縄には何度か行き、辺野古のテントも訪れましたが、こういう精緻で鋭い怒りの言葉を繰り返して読み、咀嚼することが必要だったなとつくづく思います。

 

沖縄や戦争をめぐって、今の状況をさらに一歩深く考えるために必要な多くの歴史的事実を知ることが出来ました(とりわけ第三章の「沖縄と天皇制」)。

 

私もまた「ホンド」の非当事者であることをあらためて知らされます。「生身」で向き合うのではなく、観念や知識でことすまそうとしてきたー。私にもどこか「不敬」を恐れる気持があるのだとしたら。いえ、きっとそうなのでしょう。この本で目取真さんが語る沖縄の怒りにちゃんと向き合っていけば、それはおのずと剔抉されてくるのだと思いました。

 

この本は、私の中の「ホンド」を、二人の身体をかけた言葉で照らし出してくれるようです。余韻として泥濘の触感が足裏にいつまでも残ります。

 

日米安保に反対したら、目の前の米軍基地にも反対しないとおかしい。憲法9条は条文の解釈をめぐる問題で、具体的に形のある対象に反対するものではないですから、口で唱えるだけでもいいわけです。辺野古みたいに米軍基地の前で機動隊にぶん殴られて毎日排除されるのはとてもきついですよ。だけど、憲法9条で集会開いてですね、お互いに護憲を確認しているぶんには、痛くも何ともないわけです。」(目取真)

 

「高橋さんに言いましたけど、そんなことをしている暇があったら、あなた自腹を切って辺野古に来て、集会をやっているときにトイレ送迎の運転手をしたり、裏方の仕事を手伝った方がいいですよ。その方がずっと役に立ちますから。沖縄から「米軍基地を引き取れ」という声があって、それを主体的に受け止めて、「本土」からの応答として、自分の後ろめたさは解消されるかもしれないけど、実際上は効果がないわけです。」(同)

 

「要は、日本人の圧倒的多数が、沖縄の運動
を政府がつぶすことを願望しているわけですよ。でも、そうやって沖縄の運動をつぶしてですね、仮に辺野古に新基地ができたとして、本当に安定した運用ができますかって話です。まあ、10年先の話をしてもしょうがないですけど、沖縄の人々の気持ちはどんどん離れていくわけですよ。どうしてこんな日本のために、自分たちが犠牲になって基地を引き受けなければならないかっていう疑問を持つのは、当たり前の話ですよ。」(同)

 

このような言葉を「ホンド」の誰からも聞くことは決してないでしょう。日々生身でたたかいの最前線に立つ作家の、もしかしたら少なからぬ「ホンド」の支援者の反発も招きかねないこうした率直な実感表明に、「ホンド」に生きる私たちはどう応答すべきなのか。現場に行って痛覚を共にすることからしか応答しえないのではないでしょうか。

 

さらにそれは文学の問題でもあるのではないでしょうか。「政治と文学」、あるいは政治と文学の間に拡がる亀裂、深淵ー。

 

「「平和通りと名付けられた街を歩いて」もそうだけれども、ヤマトゥの人間がとてもじゃないけど逆立ちしても書けないことに切り込んでいく。あれは痛覚であるべきですよ。深部感覚ね。それが書けないならヤマトゥは文学をやめたほうがいい。」(辺見)

 

「いまのほうがめちゃくちゃに後退しまくっている。僕なんかも稿料をもらってものを書いているわけだけれども、日本のヤマトゥの文学の世界も、かなり右の側から天皇制を支えてきていると思う。いわゆる〝不敬文学〟にはホンドではいかなる手ひどい報復がまっているか。知らないふりをして、じつは感覚的に知っている。つまり、「不敬は割に合わない」ということだけをね。」(同)

 

「その作品世界は、政治と文学って問題のたてかたをするとして、それを対立項的に考えるときに、目取真さんにおいては、そういうヤマトゥのたとえば戦後文学なんていう観点とは、根本的に違うような気がするんですね。もっと、眼前の課題に対して身体的にちゃんと向き合うかどうかということを常に突きつけられている気がします。傍観者たち、忘却者たちを断じて許さない。はっきり言って、ぐうの音も出ないというのが僕の正直な印象なんですよ。」(同)

 

巻末の辺見さんのエッセイ「おわりに If I were you…… ー一閃の青い彗星のような暴力」を締めくくる最後の段落が、沖縄との対談を終えて「ホンド」に生まれたひとすじの痛覚の軌跡を、鮮やかに描き出しています。

 

今この時に多くの人に読んでもらいたいと思います。

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四方田犬彦「旧植民地下の詩人たちの映像」(「現代詩手帖」9月号)をめぐって

現代詩手帖」9月号に、四方田犬彦さんによる「旧植民地下の詩人たちの映像ー『空と風と星の詩人』、『日曜日の散歩者』」が掲載されています。

 

四方田さんは前者を「外部から受難と抵抗の神話を更新することはできても、詩を書くという行為の孤独さそのものを見つめてはいない」、あるいは「植民地下の朝鮮文学が日本の文芸思潮の圧倒的な影響のもとに成立した」という「文学史的に否定できない事実」を踏まえていないと批判しています。

 

それに対して後者からは、「台湾という視座から眺めた日本のモダニズム文化運動への共感と批判をめぐる新鮮な驚き」を受け取ったといいます。さらに同作は最先端の日本の詩とその背後のヨーロッパの芸術思潮にも目を向け、すでに1930年代に東京経由で「文化における世界的同時性」が台南まで到達していた事実を描き出している、と。

 

結局四方田さんは『空と風と星の詩人』について「残念なことに、韓国社会を重苦しく覆っているナショナリズムしか認められなかった」そうです。

 

私はまだ『日曜日の散歩者』の方は見ていないのですが、『空と風と星の詩人』については映画評論的には、四方田さんの批判は当たっているようにも思います。また詩的事実の次元においても、尹東柱はたしかに北原白秋立原道造や「四季派」など日本の抒情詩人たちに影響を受けたのだし、さらにそこから当時の詩における世界同時性を代表する詩人リルケを知っていったというのは、まぎれもない事実だからです。

 

四方田さんの評に多々頷きつつも、この『空と風と星の詩人』を全面否定することは、やはり私には出来ないでしょう。それは非常に素朴で根本的な理由からです。私にはどうしても詩や詩人を評価する時、巧みに作品を作ったかどうかや、文化的に世界同時性を獲得したかどうかという評価軸だけではこぼれ落ちるものがあると思っています。

 

大変素朴かも知れませんが、その「こぼれ落ちるもの」とは、詩が「本当に生きるという行為」を生み出す核としての小さな行為、自分が自分の手を握るような、孤独の底で共同性へわずかにでも向き直る行為として内側から捉える視点です。それは作品や年譜だけでは捉えられない内的な動性です。尹東柱の詩は、最終的にはそのような向き直る行為として現われ出ようとしていましたが、しかし果たせず終わったのだと思います。その未完の行為は、読む者それぞれの中で感銘や解釈や想像によって発露するのではないでしょうか。それが尹東柱の詩が私たちに持つ意味なのではないでしょうか。

 

抵抗運動家の従兄弟の触発によって、尹東柱は最期にその手を、孤独な「私」から虐げられた「あなた」へたしかに向かわせようとしていた。虐げられた朝鮮民族だけでなく「すべての死にゆく者」あるいは「絶え入る者」へとー。その「時代のように 訪れる朝」の光をこそ、見たい。

 

『空と風と星の詩人』は、尹東柱がそのように詩の孤独の中から行為へ、自己から他者へ向き直る過程を意識的に描き込める可能性はあったのではないでしょうか。ただ私はもう大分内容を忘却しているので、近いうち再見したいと思います。

 

ナショナリズムを超え、時代を超え、「政治と文学」というテーマを現在的に先鋭に表現することを試みることは、今映画にも詩にも求められている気がしてなりません。今を生きる者の中に眠り込もうとする意識を世界同時的に触発するためにー。

 

 

朱と闇

伏見稲荷大社を訪れました。
どこまでも立ち並ぶ千本鳥居の朱色が、九月の光に美しく映えていました。

 

とりどりに配色鮮やかな浴衣を着た多くの女性たちと擦れ違いました。笑いさざめきもまた、空気に優しい色を添えるよう。 

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 何とはなしに、見ておきたかった歌碑がありました。あまりに光がまぶしく、立派な木の影が覆い被さり、刻まれた文字は見えなかったのですが。


むば玉の  暗き闇路に迷うなり
我に貸さなむ  三つの灯し火


足利尊氏に幽閉されていた後醍醐天皇が、吉野に逃れる際に、ぬばたまの闇にはばまれたが、この歌を社伝の前でよむと、ひとむらの紅い雲が現れ、吉野への道を照らしてくれた。。という歌です。どんな闇が立ちはだかったのでしょう。紅い雲とは、何だったのでしょう。

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あにはからんや、千本鳥居のそばの草むらに、漆黒の猫が鎮座していました。金色に近い目が神秘的です。まさにぬばたまの化身のよう。。

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鳥居の朱色は、生命の色、魔除けの色だそうです。そう、空の青と、山の緑と、こんなに映り合う色はないと思います。稲荷山をめぐる鳥居たちの参道はまさに産道で、柱の間から差し込む光や、包み込む木々のざわめきは、海の中にいるようでした。

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しかし、夜ともなれば、今も後醍醐天皇の時代とさして変わらないぬばたまの闇が、この神域を支配するのでしょう。猪に注意、という看板がいくつも。烏が火のついた蝋燭を咥えていき、火災も発生したそうです。狐はいなそうなのですが、分かりません。

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朱と闇、という対照が、問いかけのように心に残されました。明るい朱は、もしかしたら朱のままにして、すでに闇なのかも知れない。だから無限に続く鳥居を潜りながら、こんなに心がざわめくのだろうか、と。

 

伏見稲荷大社から歩いて行ける距離に、伊藤若冲がその門前で晩年を過ごし、若冲の墓もある石峰寺があります。この夏、その山の裏手に居並ぶ若冲デザインの五百羅漢たちに出会いました。その時感じた時を超えていきづく竹林の空気と、江戸時代から増え続ける千本鳥居の生命は、たしかに繋がっています。その発見も、嬉しく思いました。

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注:五百羅漢の写真(上)は、パンフレットから。現物は撮影禁止です。

 

 

 

 

 

8月21日京都新聞・詩歌の本棚/新刊評

『朴正大詩集 チェ・ゲバラ万歳』(権宅明訳、佐川亜紀監修、土曜美術社出版販売)は、韓国の民主化世代の詩人(一九六五年生)の訳詩集。メッセージ性と抒情性が一体となった長い各行は、ラップの詩のように一息に読まれる勢いと言葉の野性味がある。昨年末の百五十万人デモのうねりと通底する詩の力を感じた。「革命」という言葉さえ詩語として煌めいているのだ。「タバコの煙は我が魂の桃の花/革命は一匹の感情」「詩は革命だ」「みんなのためになる革命とは僕らが喜んで自らの異邦人になることだ」―。
『倉橋健一選集』(澪標)が完結した。倉橋氏は一九三四年京都市生まれ。六〇年代以降大阪で活動する。詩誌「山河」「白鯨」に参加し、現在は「イリプス」を編集。最終第六巻は、一九八〇年代から二〇〇〇年代までの単行本未収録の全時評を収めた。それらの時代、現代詩は戦後詩の文脈から離脱して「詩壇ジャーナリズム」を形成し、八〇年代以降はポストモダニズムの影響下「言語派」が席巻した。だが倉橋氏は状況の中で冷静に、レトリックを超えて切実さの伝わる詩を評価していて共感する。
「しかし私は、毎月たくさんの詩集や雑誌にふれながら、そんな流行にまどわされて、みずからも白けきっしまうような感覚だけはなんとしても持つまいと思う。切実な主題は、日常のくらしの奥にまぎれもなく沈静してある。それをねばりづよく追求し、みずからの物語をつむぎだすことこそが、詩のほんとうの夢であるだろう。」(一九八六)
 苗村和正『四季のひかり』(編集工房ノア)は、約十年間の詩作の結実。作者は「くるしみの石を日々だまってのみこんでいる」日常の無明の中で、詩を書き救済の光を見出してきた。繊細な比喩に長い歳月の模索を感じる。詩を救済と関わるものとして捉えることは、今むしろリアルだ。詩を書くことは、言葉による「胎内めぐり」だろうか。
「随求(ずいぐ)堂で/胎内めぐりをしました/なにもみえない暗闇のなかで/なにかに触(さわ)ったことでわたしは動揺していました。/そのときわたしはきっともうながいあいだ/なみだとは無縁なあさましい修羅を生きていることに/気付いたのでした//胎内めぐりをした日/こころがまぶしくあおいだ空に/蝸牛(かたつむり)のような小さな雲が/それはたくさんながれていました」(「胎内めぐり」)
 萩野優子『おはよう』(編集工房ノア)の作者も、「書くことによって、今、生かされていると感じて」いる。日常の底から生の実感を求めて言葉を研ぎ澄まし、真実の世界をひらく―たしかにそれが人にとって詩という行為が持つ意味だろう。まだ途上にありながらも、作者はそうした実感をたしかにつかんでいる。
「しんしんと降ってくる/レールに向かって降りしきる/しんしん しんしん降り続く//雪の粒が/わたしを叩く/何度も叩き続ける/さあ……/白い声が満ちてきて/体がだんだん熱くなる//列車がやって来た/わたしは重かった足を踏み出す」(「雪」)
 尾崎まこと『大阪・SENSATION』(竹林館)は写真集。
「詩的にいうと大阪は有史以前からの「記憶の都市」である。同時に今日も、夢と挫折と未来を背負ったLIFEの「舞台」であり続けている。(略)大阪にいると人は幾分か役者であることを強いられる。その舞台の書き割り(風景)を撮った。」
どの写真にも詩的な熱と陰翳がある。詩人=写真家の目は、かつて小野十三郎が詩で描いた風景の重さと人間臭さを、魅惑的に蘇らせた。

茨木のり子と尹東柱

数日前尹東柱の映画について書きましたが、
今日は、茨木のり子さんと尹東柱との関係について少し触れます。

 

少し前のことになりますが、去る4月23日、愛知県西尾市の「横須賀ふれあいセンター」で
茨木のり子尹東柱」という講演をさせていただきました。(ツイッターフェイスブックでは記事を書きましたが、ブログではまだだったと気づきました)。

 

同市に拠点を置く「茨木のり子の会」にお声を掛けていただき、実現しました。 (同市には茨木のり子さんのご実家があります。)

 

講演の準備の過程で、尹との関係を念頭において『全詩集』やエッセイを読み返していくうちに、様々な発見がありました。大変学ぶところが多かった時間でした。

 

以下、当日の講演のエッセンスだけ。

 

茨木さんは夫の死の翌年、つまり76年4月から韓国語を習い始めます。ここからの詩人としての人生の後半生で、韓国・朝鮮と関わっていくことになります。そしてそれは魂の深みへの回帰の旅のはじまりだったのでした。

 

なぜハングルを? ときかれて茨木さんは様々な答えがあると言いつつ、


「こんなふうに私の動機はいりくんでいて、問われても、うまくは答えられないから、全部ひっくるめて最近は、「隣の国のことばですもの」と言うことにしている。」(「ハングルへの旅」)


とおっしゃっています。

 

しかしそれらの理由の中でやはり夫の死が最も大きかったでしょう。

 

「今から思えば三十年前になります。個人的な話ですが、私は夫に先立たれて不幸のどん底にいましたから、先生の明るさとか、陽性なところ、何よりその授業がたいへんおもしろかったものですから、不幸から少しずつ立ち直れたということがありまして、ほんとうにお目にかかれてよかったと思います。」(『言葉が通じてこそ、友だちになれる―韓国語を学んで』)

 

「つらい時期に、何語であれ、語学をやるというのは、脱け出すのにいい方法かもしれません。単語一つ覚えるのだって、前へ前へ進まなければできないことですし。」(同)

 

そしてこつこつと努力し、やがて韓国の詩を翻訳するまでになり、『韓国語現代詩選』を出します。

 

その時のことを『言葉が通じてこそ、友だちになれる―韓国語を学んで』)でこう書いています。

 

「大変だったでしょう? とよく言われますが、大変は大変でしたが、でも、皆が思ってくれるほどではありません。」

 

「発見といえば、韓国の詩は〈生きる〉ということと切実につながっていると感じました。メッセージ性が強いというか。花鳥風月はいたって少ない。日本の現代詩は言語派が主流です。そのために非常に難解です。わたしなどは、生活派ということで、くくられてしまうんですけど。」

 

「詩にはいろいろあるので断定はできませんし、私だけがこのように思っていることかもしれませんが、韓国の詩は古い詩も現代詩も、目に映る描写より感じることを言葉にすることが多いです。感情というか、気持ちを表現する言葉ですね。有名な尹東柱の星空を歌った詩のように。」

 

「言語派」も結局は花鳥風月、目による描写である日本の詩よりも、感動や志を率直にうたう韓国の詩に惹かれたということですね。

 

ところで私はこの講演で少し大胆なことを語りました。

 

それは茨木さんは尹東柱に、どこか夫を重なり合うものを感じたのではないか、という仮説です。それは亡き夫をモチーフとした詩「月の光」(『歳月』)と、尹が出てくる詩「隣国の森」(『寸志』)との間に、深い関係を感じたからです。

 

「月の光」全文:
「ある夏の/ひなびた温泉で/湯あがりのうたたねのあなたに/皓皓(こうこう)の満月 冴えわたり/ものみな水底(みなそこ)のような静けさ/月の光を浴びて眠ってはいけない/不吉である/どこの言い伝えだったろうか/なにで読んだのだったろうか/ふいに頭をよぎったけれど/ずらすこともせず/戸をしめることも/顔を覆うこともしなかった/ただ ゆっくりと眠らせてあげたくて/あれがいけなかったのかしら/いまも/目に浮ぶ/蒼白の光を浴びて/眠っていた/あなたの鼻梁/頬/浴衣/素足」

 

詩「隣国語の森」(第六連から最終連):
「大辞典を枕にうたた寝をすれば/「君の入ってきかたが遅かった」と/尹東柱(ユンドンジユ)にやさしく詰(なじ)られる/ほんとに遅かった/けれどなにごとも/遅すぎたとは思わないことにしています/若い詩人 尹東柱/一九四五年二月 福岡刑務所で獄死/それがあなたたちにとっての光復節/わたくしたちにとっては降伏節の/八月十五日をさかのぼる僅か半年前であったとは/まだ学生服を着たままで/純潔だけを凍結したようなあなたの瞳が眩しい//――空を仰ぎ一点のはじらいもなきことを――//とうたい/当時敢然とハングル(注:原文
では「ハングル」はハングル表記)で詩を書いた/あなたの若さが眩しくそして痛ましい/木の切株に腰かけて/月光のように澄んだ詩篇のいくつかを/たどたどしい発音で読んでみるのだが/あなたはにこりともしない/是非もないこと/この先/どのあたりまで行けるでしょうか/行けるところまで/行き行きて倒れ伏すとも萩の原」

 

いかがでしょうか。

 

月の光がふりそそぐ夢のような時空が同じ、というだけでなく、「あなた」と尹東柱へのいとおしみ、そして「あなた」と尹東柱の死への悲しみは重なり合うものであるように私には思えました。

 

そして恐らく二人の風貌もどこか似ていたのではないか、とさえ思います。

 

「写真を見ると、実に清潔な美青年であり、けっして淡い印象ではない。ありふれてもいない。/実のところ私が尹東柱の詩を読みはじめたきっかけは彼の写真であった。こんな凛々しい青年がどんな詩を書いているのだろうという興味、いわばまことに不純な動機だった。/大学生らしい知的な雰囲気、それこそ汚れ一点だに留めていない若い顔、私が子供の頃仰ぎみた大学生とはこういう人々が多かったなあという或るなつかしみの感情。印象はきわめて鮮烈である。」(「尹東柱」)

 

さらにいえば、茨木さんご自身もまた、尹東柱のような凜とした心ばえを感じさせる詩人ですね。

 

当日は茨木さんと尹の親族との交流や、尹自身についても語りました。

 

いつか一つの文章としてまとめられたらと思っています。

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「空と風と星の詩人〜尹 東柱の生涯」(イ・ジュニク監督、韓国映画)

「空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯」(イ・ジュニク監督、韓国映画)を、心斎橋シネマートで見ました。

 

じつは、期待しすぎて失望するのを恐れ(?)、あまり期待しておかないでおこうと思っていた映画だったのですが、予想に反し、詩人尹東柱の生と詩の本質を映画の表現力を駆使して見る者に伝える、とてもすぐれた作品でした。

 

110分という時間で、よくぞ尹東柱という詩人のすがたを描ききったなあと、監督と 俳優たちの力に感服しました。

 

ストーリーは、ほぼ尹東柱の現実の生涯をなぞってはいますが、いくつかの仮説による虚構も織り交ざっています。しかしそれは全く気になりませんでした。そもそも映画は物語だからというだけでなく、この映画の少なからぬ場面に、尹の詩の朗読がかぶさり、詩のことばがもつ真実性が、この映画固有の生命を与えているからです。

 

「新しい道」「白い影」「星を数える夜」「自画像」「弟の肖像画」「たやすく書かれた詩」…まだあったでしょうか。いずれも、かぶさる場面の選択は絶妙で、監督自身がいかに尹の詩と深く向き合ってきたかを感じさせます。詩の解釈が、映画を動かしているのだと思いました。

 

尹役のカン・ハヌル、従兄弟の宋夢奎役のパク・チョンミンの演技は、私の中の尹と宋のイメージをより鮮やかなものにしてくれました。この映画の主役は尹ですが、宋も尹と同じくらい大きな存在感で描かれています。

 

モノクロ映画ゆえに、当時の時代の雰囲気もリアルに迫ってきます。尹を尋問する日本人の刑事役のキム・インウは、日本語がすごく自然だなと感心していたら、在日コリアンの俳優だそうです。冷酷で鬼気迫る印象の底に、戦争という宿命への絶望も垣間見える演技に圧倒されました。

 

宋と尹は運命を共にする双子のような関係ですが、詩を純粋に愛する尹と革命を第一義におく宋の議論は、政治と文学、飢えた子供のために詩に何が出来るかという、今あらためて考えたいテーマに繋がっていて、興味深かったです。

「人々が自分の本当の心を表そうとする時代に、詩は力を持ち始める」というような言葉も語られていたと思いますが、尹東柱が当時抱いていた詩への思いに、この映画で一歩近づけた気がしました。

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