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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2月26日付しんぶん赤旗文化面「詩壇」

「政治と詩」というテーマは難しい。この国では残念ながら詩人たちにも政治への忌避感が根深いが、そもそも詩という個人的でよるべない言語芸術が、政治という集団的で巨大な問題と向き合うことは、容易ではない。
 だが東日本大震災原発事故は、詩が個人的でよるべないものであっても、あるいはそうだからこそ、政治と向き合う力を持つことを教えたのではなかったか。あの時詩もまた否が応でも政治を突きつけられた。七年前に撒かれた種は今、どのように芽吹いているか。
現代詩手帖」2月号は、批評特集。添田馨「カイロス降臨」は、二〇一五年九月国会前で安保関連法案反対デモに参加した体験に触れる。添田氏は大勢の参加者たちとの一体感と共に、情況と歴史との一体感を感じ取ったという。「カイロス的時間」とは、「創造と運命とが一つであるような時間」。デモに参加しながら氏は、過去に「国内外の反権力・反ファシズム闘争」を闘った「顔も名前も知らぬ」「先人たちとの運命的な繋がり」を、リアルに実感した。私も当時国会前にいたが、あの時空の特別な感覚は確かに「カイロス的」と呼べるものだったと思う。かつてそこに立った全ての人々が今ここにいるような、不思議で濃厚な気配と熱気を感じていた。
 一方「詩人会議」1月号の齋藤貢「草のひと」は被災地の「時間」を突きつける。「土に生きる草のひと」にとって、時間とは一瞬たりとも途切れない苦悩そのものだ。
「だから、草のひとよ。/もっと声高に語れ。/ここで安らかに眠るためには/声を荒げて、何度も言わねばならぬ、と。/汚れた土地を放置して、無防備に/世界を置き去りにしているのはいったい誰か、と。」

 

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書評・中川成美『戦争をよむ』(岩波書店] )(図書新聞3338/2月10日号)

  思えば最近まで、戦争を描いた作品をあらためて手に取ることはなかった。子供の頃は戦争体験者の父が多くの戦記物を買ってくれたし、世間で戦争の記憶が風化しても、両親が亡くなるまでは彼らの存在がおのずと記憶を喚起した。だが彼らの死後、私は戦争を急速に忘れていった。だが気がつけば、すでに濃く立ちこめていた新たな戦争の気配―。あらがうための方途を過去に探るしかないと痛感している。
 本書は、著者にとって「極めて肉感的に戦争に触れた」七十篇を紹介する。「肉感的」とは中野重治がよく使ったそうだが、この書で端的にそれは、戦争と文学の「抜き差しならないほどの共犯関係」を「打ち破っていく」可能性の実感のことだ。あるいは「底の方からグッと押し上げてくるような実感をもって、私の内部に突き刺さってくる」痛覚である。その肉感性という評価軸において、拷問死した小林多喜二と戦争に協力した徳田秋声がこの書で肩を並べる。詩やエッセーなども含めジャンルは多岐に亘る。
 新聞での連載がまとめられている。媒体が要請する簡潔さ、具体性、分かりやすさが、七十篇の「肉感性」の魅力をしっかりと伝える。限られた字数で著者は、作者たちへの敬意をこめつつ、現在の状況をめぐって自身の言葉を読者へ手渡そうとする。それが作者たちの声と一体となり私の心に残った。「その作品の一つ一つに描かれた人間という存在への懐疑を手がかりに、戦争と文学の関係を想像力の拠りどころとして再構成したいというのが、本書を出す最大の理由である。その文学的想像力こそが、今ある思索の困難を照らし出していくことになるであろう」。
 それぞれ十二、三篇前後を収める五章と、終章から成る章立てが示すのは、文学が「戦争に巻き込まれる」あり方と、戦争との「紐帯を断ち切る」力の多様性だ。第一章「戦時風景」では、敵か味方か、市井か兵士かを問わず、人間が見た戦争の風景を集める。「戦争における一日一日の身体と精神の緊張」が個々人の内部に「人間存在への深い洞察」を打ち立てる過程を描いた作品群である。徳田秋声『戦時風景』、野間宏『顔の中の赤い月』、江戸川乱歩防空壕』、原民喜『夏の花』など。第二章「女たちの戦争」は、戦争の被害者でもあり加担者でもある女性が、戦争によってもたらされた「痛苦と虚無」とどう向きあったか、さらにはどう「情愛」を再構築していったかを見る。田村泰次郎『蝗』、高橋たか子『誘惑者』、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』など。第三章「植民地に起こった戦争は――」は、「征服する側の言葉、征服される側の言葉、そして、その相克のなかで生み出されていった、せめぎ合う言説の現場からの言葉」を集める。吉田知子満州は知らない』、張赫宙『岩本志願兵』、モーナノン『僕らの名前を返せ/燃やせ』など。第四章「周縁に生きる」は、間断なく戦争に身を投じていく近代日本の「周縁に追いやられた人々の姿」を描き、社会矛盾を批判した作品。無産者、在日、沖縄、被爆者、死刑囚。小林多喜二『転形期の人々』、カズオ・イシグロ遠い山なみの光』、安本末子『にあんちゃん』など。第五章「戦争責任を問う」は、「強く戦争への忌避を主張する文学・評論」。ヘミングウェイ『兵士の故郷』、石川淳マルスの歌』、平林たい子『盲中国兵』など。なお新聞連載中、著者は作品の現場となった場所へも旅した。その濃厚な時間も文章に反映する。
 今後憲法改正へと一気に進もうとする国家に癒着する国民を、文学はみずからの「肉感性」の魅力で個々の人間に立ち返らせ、戦争への流れを変えられるか。この本の声たちは口々に叫ぶ。どうか最後まで諦めず、戦争がなぜ生み出されつづけるのかを考えてほしい、と。f:id:shikukan:20180211140638j:image

この青からより青なる青へ 歌集『青の時計』(荒川源吾)書評 ・「思想運動」2月1日、1015号

   白地にタイトルと名前だけを刻印したシンプルで美しい表紙。前後の見返しには著者の住む町なのか、郊外の濃青の夕暮れの写真が刷られている。どちらもこの歌集の内容を見事に象徴する。前者は集中の歌「立つものが全て時計になる真昼晴天(はれ)の雪野に青く正午(ひる)をさす影」、後者は「暮れて尚空のあかきはひんがしの暗きに兆す空の陣痛」を連想させる。光と闇、生と死、時間と永遠―それら根源的な裂け目に、裸形のたましいで触れた痛みと歓びから生まれた歌々がここにある。まさに「夕雲を葡萄百顆のいろにそめ日は熟れ闇の大壺に落つ」の、「百顆」の生命となって迫ってくる。
「青の時計」というイメージの端正な美しさとそれゆえの未知の痛覚。それをどこか感じつつ読み進めると、「立つものが全て時計になる」の「時計」とは、作者にとっての短歌の立ち姿そのものなのだと思えてくる。どの一首にも唯一の生の時間が、樹液のように静かに立ちのぼっている。だが短歌とはそもそもそのようなものだったのではないか。それは記録でも記述でもなく、それは虚空の青に吹きさらされる人間の、より美しき世界への祈念なのだということを、この歌集は鋭く教えてくれる。空の高みでもあり地の底でもあり、受容でもあり拒絶でもある青に、木々のごとく吹きさらされる者だけが、そこに隠された声々を聴き取りうることを。「詩歌とふ迷路にあれば聞え来る語られなかつた底ごもる声」。
  声の主は、非業の死者でもあり石でもあり、火でもあり風でもある。あるいは声は森羅万象のまなざしとなり、死を意識した作者の裸形の魂に、今こそうたえとかきたてている。この深みから別の深みへ、この青からより青なる青へ、と。
 自己、他者、社会、自然―『青の時計』はそれらに私たちが向き合う時間を、生の痛みと歓びとして深めるよすがとなる稀有な歌集だ。白を汚しながら読み返し、白に書き込みつづけ、私自身の「時計」にしていきたい。 

 

*本歌集は私家版です。「思想運動」小川町事務所で取り扱っているとのことです。
 

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2018年1月29日付「しんぶん赤旗」文化欄・「詩壇」

  日本の戦後詩は1947年、詩誌『荒地』創刊から始まる。昨年は70年目に当たったが、詩の世界に戦後詩を振り返る動きがほとんど見られなかった。なぜだろう。
 同じく敗戦の荒廃から出発しつつ、『荒地』は詩人の流派として主にモダニズムの姿勢で書き、もう一方の雄『列島』は運動体として民衆と結びつき、プロレタリア的手法を取った。今詩を書く者が両者について考えることは、決して無意味ではない。70年後も戦後の矛盾と精神的な荒地は続いているのだから。
 だが現代詩の一隅に変化は見えている。現在の荒地がもたらす痛みから、もがきつつうたう若い詩人達の登場だ。彼らは人間を分断させ疲労させ続けた「失われた二十年」による社会の荒廃を、幻視(ヴィジョン)としてつかみ表現する。書くことは彼らが生き抜くことそのものだ。
 佐々木漣(れん)『モンタージュ』(私家版)は、自己同一性の不安、愛の欠如、死への親近といった人間の危機を、鋭い逆説と不穏な詩性で描き出す。詩「あらゆる命と戦場にいた」は、止めどなく不可視の戦場と化す社会の真相を突きつける。
「塊が熱い熱いと喚きながら/粗大ゴミのようにコンテナに乗せられ送られていく/あの断崖の先に、落ちるでもなく、飛ぶでもなく/幻の線路を走り、現出した新たな戦場へ呼ばれてく/あの国では、死者の多さこそが豊かさの象徴なのだ/やがて見えてくる、彼の地/あれをイマジンと呼ぶのです/訳してください//暗い虹が見える信仰のない0日目/あらゆる命と戦場にいた/皆、震えていた」(末尾部分)
 佐々木は30代。橋本シオンや魚野真美といった20代の詩人も現れた。生きるための新たな詩が、胎動している。

パリ初日(その2)

バリの中心からRER(高速鉄道)と路面電車を乗り継ぎ、サン・ドニ聖堂まで行きました(方向音痴な私一人では辿り着けなかったであろう)。ボール・エリュアールの生まれ育った街です。

 

レジスタンスの時代に書かれ、自由を奪われたパリの街に英空軍機から撒かれたエリュアールの詩「自由(リベルテ)」は、この文章の末尾に全文がありますが、本当に素晴らしい詩です。70年以上の時を超えて再び自由の危機が訪れた同時多発テロ後、この詩は建物の壁面に映し出されたりして、パリそしてフランスの人々を再び勇気付けたと聞いています。

 

サン・ドニはパリ市内とはまた違う雰囲気の移民の多く住む地区です。「不良っぽい街だぞ? 俺も何十年ぶりかで行くけどね」と案内人の元青年の言葉から期待したとおり、駅を降りたった時から美味しそうな焼肉の煙が方々で立ち上る、市内とは全く違う移民の暮らしの匂いのする街でした。

 

行き交うのは、ほぼアフリカからの移民ばかり。後はアラブ系の人々。もう何世になる人々なのでしょうか。 ふとここは日本で言えば鶴橋のような街に当たるのかなと思いました。そんな空気にむしろ気持をほぐされつつ、路面電車に乗り継ぎ、サン・ドニ大聖堂駅で降りて歩き、ゴチックの威容をほこる大聖堂へ。

 

大聖堂には歴代王と王妃の棺の数々がありました。遺体はフランス革命の時に労働者たちの手で捨てられ中はもぬけの殻ということらしいです。その代わりにかれらは棺の上の彫刻像となって眠っています。足の方に回り込むと裸足を見せていたり、鎖帷子のような靴下を履いていたり、尖った靴を履いていたり…彫られたのは王政恐らくそこにあるのは、捨てられた 死者たちへの愛惜だけがあるのではないでしょう。のけぞって苦しんだ姿もあり、一人一人の人間として見た庶民の権力者への解釈のようなものを感じさせました。遺骸さえも憎悪によって粉々にされたルイ16世もマリーアントワネットもいました。

 

教会の近くのエリュアールの部屋のあるサン・ドニ歴史資料館は、なんとお休み。それは残念でしたが、疲れて立ち寄ったカフェでも帰り道をマスターと客が一緒になって考えてくれたり、所々で道をたずねると誰もが親切に応じてくれました。résistanceという路面電車の駅もあってハッとしました。

 

もちろん犯罪率は決して低くはないはず。しかしどこかエリュアールの詩「自由」の源泉となった空気が、今もたしかに残っているのでしょう。またいつか訪れてみたい街です。

  

       自由

                          ボール・エリュアール

                          大島博光訳

 

       小学生の ノートのうえに
  机のうえに 樹の幹に
  砂のうえ 雪のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  読んだ すべてのページのうえに
  すべての 白いページのうえに
  石や血や 紙や灰のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  ジャングルや 砂漠のうえに
  小鳥の巣や エニシダのうえに
  子どもの頃の こだまのうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  夜の 不思議さのうえに
  日日の 白いパンのうえに
  婚約した 季節のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  生き生きとした 小道のうえ
  遠く伸びた 大道のうえに
  ひとの溢れた 広場のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  灯(ひ)のともったランプのうえ
  また消えた ランプのうえに
  わが家の 一家団欒のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  許しあった 肉体のうえに
  友だちの 額のうえに
  差しだされた 手のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  思いがけぬ喜びの 窓硝子のうえ
  待ちうける くちびるのうえに
  沈黙の そのうえにさえ
  わたしは書く きみの名を

 

  欲望もない 放心のうえに
  まる裸の 孤独のうえに
  そして 死の行進のうえに
  わたしは書く きみの名を

 

  力強い ひとつの言葉にはげまされて
  わたしは ふたたび人生を始める
  わたしは生まれてきた きみを知るために
  きみの名を呼ぶために

  

       白由よ

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パリ初日(その1)

パリ初日。幸運なことにこの街を愛する地元の元青年(永遠の青年だと思う)の案内を得て、初日から市内を半分歩いて横断し、さらにRERでサン・ドニまで足を延ばすことが出来ました。

 

パリに生まれ育ち、絵も音楽をバリで学んだ人。行き当たる小路の猫のことや、幼い頃からのアイスクリームの味を教えてくれたり、美術館では画学生の頃の思い出に耳を傾けました。本当はフランス語を通して聞きたかったですが、声や眼差しや表情によって分かるものがあり、(多分私に合わせてくれた)英語でも私は十分でした。

 

一人で歩けば硬く冷たい石の街のままだったかも知れない。でもパリへの愛を感じさせるその人の言葉や眼差しによって、初日からパリという街は柔らかくいきづき始めました。

 

曇って雨がぱらついたかと思うと、まるで魔法のように晴れるパリの空の下をセーヌ川に沿って優しいパリジャンの背中を見て、安心して歩くことが出来ました。そのぶん激動の歴史がいまだしっかりといきづく街の良さを、私なりに堪能することが出来たように思います。

 

生き生きと語り合い挨拶を交わし合う人々の姿とからみあう街そのものの呼吸。たしかにここには、人を惹きつけてやまない磁力があります。恐らく時にそれが人を狂わせることもあるでしょう。ノートルダム大聖堂のあたりは、「マルテの手記」のリルケも佇んだはずだったと思います。あの鈍色の死の物語をもう一度読みたくなりました。

 

「こうして人々は生きるためにこの都会へ集まって来るのだが 、僕にはそれがここで死ぬためののように考えられる。 」f:id:shikukan:20180118122240j:imagef:id:shikukan:20180118122314j:imagef:id:shikukan:20180118122415j:imagef:id:shikukan:20180118122429j:image

1月15日付京都新聞朝刊文化欄 「詩歌の本棚・新刊評」

   日本の戦後詩は一九四七年、詩誌『荒地』創刊から始まったとされる。その代表的な詩人北村太郎の詩集『港の人』(一九八八)が、昨秋出版社「港の人」から復刊された。三十年後の今読んでも(あるいは今だからか)、詩を書くことで廃墟を生き抜いた詩人の鋭敏な生と死の感覚が新鮮だ。死に包まれ生がある、人間は反自然の存在だ―そうした重厚なテーマを伝える言葉は繊細で柔らかい。生への愛おしみを静かに伝えて来て、深い感銘を受けた。
   尾崎与里子『どこからか』(書肆夢ゝ)は、母の病と死を体験した作者が、その濃密な時間を詩として昇華することで、少しずつ悲しみを解き放っていく。作者は琵琶湖畔に棲むが、死から生へ向き直る、あるいは死が生へ受容されていく心情の変化は精緻で、まさに湖の色の変移のようだ。母の死までを描く第一部は、時々の状況を描く散文詩も含み、悲しみを乗り越える第二部は行分け詩群である。それぞれ一節ずつ引く。
「病院のすぐ脇を新幹線の明るい窓が光る帯になって何度も行き過ぎ 母の細い指はこわばったまま 一層白さを際立たせている/白く泡立つ酸素 一滴ずつ落ちてくる水 脈搏 尿量 母はとうとう一枚の紙を埋める数値としてだけの存在になる 私は花柄のタオルケットを母の体に着せかけ 小さなアザラシのぬいぐるみに痩せて硬い母の腕をのせ 現実の周辺を柔らかな感触で覆おうと躍起になる するとヘモグロビン4・9の母は淋しそうに大きな欠伸をするのだ」(「冬の人」)
「みずうみ と/私たちが呼ぶのは/むきあったときに はらりとほどけ/水の匂いを移してくるものだ/つつましく後ろ手にかくしているけれど/深いいのちを幾層にも含んで/冬なのにあたたかい/湖辺の木々に冴え冴えと包まれている/湖中では新鮮なアナベナがさわさわと美しく増殖していく」(「くちびる」)
 藤本真理子『水のクモ』(書肆山田)は、古語の豊饒な知識を駆使し、音韻を共振させて意味やイメージを浮遊させることで、詩の空間を言霊のざわめきに返そうとする。詩だけでなく短歌や俳句も織り込まれ、詩集全体が張りめぐらされたクモの巣のようだ。作者が捉えようとするのは、生と死の「摂理」なのか。
「水玉模様になりたかった 猫/蛇口からしたたる一滴をひたすらに待って/キッチンの水道に寄り添う形の――まどか/夜となく昼となく――まだら/(中略)/揺れる一瞬/それが生の長さ/踏み止まる一点/それが生の重さ//と気付いた時には消える――花火/夜空に咲き誇った、と見る間に/瞬時にほどけて/熱く落ちる――しずく」
 魚野真美『天牛蟲(かみきりむし)』(iga)は、大阪に住む若手詩人の第一詩集。巧みな語りと生命力豊かなイメージで、現代の表層下に押し潰されうごめくものたちの、濃密な生をうたう。商都の「わたし」が金閣寺を冷ややかに見やる「金(きん)ください」や、都市の亀裂から怨念のように湧く虫を描いた「腐赤蟲」にも瞠目したが、ここでは新年に相応しく勢いある「いやー」全文を引く。
「あーいやーいやいやー/なーいやーいやー/九〇年代POPS全盛期世紀末救世主伝説/無意味で脳天気なラヴァーソング/竹馬に乗れた時の歓び今、再来/踊るカーテンの中でリコーダーアンサンブル/烏骨鶏小屋の卵をお道具箱の中で割り/計算ドリルの残ページを破り捨てる/我、此処に大地讃頌を奏でん/きらーいやーいやーいやー/たーりないやいーいやー/取るに足らないやーいやー/ハッピーニューイヤー、わたし。」