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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

10月13日討論会「安世鴻慰安婦写真展はなぜニコンサロンで開かれなかったのか」

10月13日に大阪市立中央会館で行われた An
討論会「安世鴻慰安婦写真展はなぜニコンサロンで開かれなかったのか」は
とても心を揺さぶられるものでした。

トークの参加者は、
安世鴻(アンセホン)さん、大阪大学の北原恵さん、映画監督の原一男さん。

このニコンサロン事件の詳細については下記の本をぜひお読み下さい。
http://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6-vita-%E6%96%B0%E8%97%A4-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4782533470/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1350309782&sr=1-1

写真展で見た写真は、
私は安さんが女性だと勘違いしてしまったほど繊細でしたが、An2
実際の安さんは男性で、
しかも存在深くに怒りを抱え込んでいるように見えました。
それはこの一連の事件の経緯によって
ハルモニたちの尊厳が再び傷つけられたことへの怒りでしょう。
ニコンから突然理由もなく中止を言い渡された
安さんの怒りはまったく当然です。

会場にいながらも私もとても恥ずかしくなりました。
安さんが「イルボン」(韓国語の「日本」)と繰り返すたび
日本という国の、もう一つの異形の影が
さっとひらめき過ぎるようで身がすくみました。

安さんは2001年に中国でハルモニを見つけてから
彼女達の心が開くまで通いつめました。
表現にも修正に修正を重ねて
彼女たちの存在を世界に知らしめるために撮影したのです。
その真摯さに圧倒されました。

慰安婦」たちは
言葉を捨てさせられ名前まで変えられ、
敗戦と同時に中国の辺地に見捨てられた結果、
貧苦と屈辱と孤絶の生涯を送ってきました。
今は身分証さえ不要な程見捨てられた環境にいる人もいます。
多くの人が亡くなり、残された人も病で苦しんでいます。

その果てしない孤独の内奥から彼女たちのまなざしが
安さんを捉え、無限の責務を負わせたのです。

彼女たちの苦痛に苛まれる目を見るのがとても辛かった、と安さんは言います。
安さんは写真の構図を故意に不安定にさせていますが、
それは見る者に揺さぶりをかけ、
写真の世界が見る者自身と地続きであると感じて貰うためだそうです。
印刷紙も、ハルモニたちの歴史に相応しいように
その尊厳のために韓紙を選んでいます。

つまり、安さんのすぐれた仕事は
無限の責務に押されたものであり
そのすぐれた写真は
ハルモニ達を単なる表象にさせまいという強い意志の産物なのです。

トークの参加者の一人、表象文化論の北原めぐみさんによれば、
戦時中から戦後にかけての
慰安所体験もある日本の男性画家達によって描かれた慰安婦画は
「敗戦によって傷ついた男性が自己の主体の回復をするための表象」だったと考えられるそうです。

このトークの間様々な思いが私の胸によぎりました。
そして自分にとって「慰安婦」問題とは何かが次第に見えてきた気がします。
以下は、トークの内容によって触発されて生まれた
私自身の考えです。

私はこう考えます。
今回のニコン事件が暴露したのは
私達の主体がもはやメドゥーサのような化け物に化している、という事態ではないでしょうか。
比喩的な言い方ですが、
今や私達は自分がまなざすものをことごとく石にしてしまうことで
自分という主体をかろうじてを保ちえているのではないでしょうか。
つまり他者にまなざされることをまるで生命の危機のように恐れているのです。
かつて「まなざしの地獄」という言葉がありましたが、
むしろ今は「まなざしを忌避し拒否する砂漠」ではないでしょうか。
それは主体と他者の関係一般においてだけでなく
とりわけ「慰安婦」に対するこの国の態度によって象徴される事態なのです。
一市長がハルモニから逃げ回り
結局は会うことを避けた、というのもまた
まなざされることへの恐怖があったのではないでしょうか。

ハルモニたちのまなざしは
同じ民族である安さんには無限の責務を負わせました。
しかしこの国の私達に対しては無限の告発をするものでしょう。

けれど私達はこのまま避け切ることはできるでしょうか。
避ければ避けるほど
私達が石化できない死者たちのまなざしに取り巻かれていくのではないでしょうか。
ハルモニたちは亡くなっても写真からあの世から、そして何よりも私たちの心の奥から見つめるのだから。

たとえ遙かな過去であれ、今自分が生きる国家が
その尊厳を剥奪し置き去りにしたという他者の最期の訴えを無視してはいけない。
戦前戦時とまなざしを変えることができなかった国に生きるならば、
誰しもがハルモニ達にまなざされる無限の責任があるのです。