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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

十一月七日付京都新聞・詩歌の本棚/新刊評

宗秋月全集―在日女性詩人のさきがけ』(土曜美術出版販売)が出た。二〇一一年に六十六歳で亡くなった女性詩人のほぼ全仕事を網羅する。終戦一年前に生まれた宗は戦後と共に生きた。だが彼女にとって戦後とは、まさに「在日を生きる」痛みと喜びのあざなう身体の時間であり、詩はそのただ中から迸る証言としてのうただった。詩人の言葉は何もまとわず何にもまつろわない。こちらの胸がすくほど真っ直ぐ魂の鼓動を伝えてくる。

「りんごの果肉をかじる/したたる血の/なんと透明なこと。//りんごをにんご/と 言う母の/ナムアムタプツ/南無/なむあむたぷつ/咽いっぱいに浸透(しみとお)る経/余韻を舌にまどみつ絡めつ/こぶしに充たぬ胃袋に/溶け堕ちる日本語のうまみ/芥の煮たぎる河に沿う/腸の煮たぎる街のなか/庇の下の物売りの母/埋くまる胸が/りんご/ひとやま 百円//こうてんか」(「にんご」全文)

 『竹内正企自選詩集』(竹林館)の作者は、近江八幡市大中の湖干拓地に入植し、二十年大型機械農業と肉牛経営に携わった。それ以前故郷でも二十年余農業に従事し、計約四十年間農に生きてきた。収められた詩には「農に生きる」者だけが感得する、自然への深い畏敬と、それゆえの未来への危惧と反戦の思いが満ちる。次の詩は、恐らくTPPが奪ってしまうだろう瑞穂の生命のかけがえのなさを、鮮やかに訴えてくる。

「分けっ期の水田に/陽が かげりだすと/稲の葉先へ/小さい露が いっせいにころがりのぼり/先端から こぼれる//幼穂を はらみだすと/葉っぱは垂直に立つ/下葉にも ひかりを受けさせる//ときを見計らって堆肥をやる/粒子が決まるのだ/堅い茎から穂の出る いたみ/水を たっぷり入れてやる//淡い花穂がわれ いとけない芯に/無数の結実が はじまる/花穂は ひかりを閉じこめて/ひと粒の米を宿すのだ//穂は徐々に登熟し 頭を垂れていく」(「稲」全文)

 佐古祐二『丈高いカンナの花よ』(竹林館)は、社会の澱みの中で消滅しかけた希望が、じつは「砂塵となって広大な宇宙にひろがってさえいる」と悟り、希望の輝く一瞬を求めて綴られた。作者は五感によってその瞬間を捉えようとするが、希望はとりわけ聞こえない音楽として、詩的聴覚へふいに訪れるのだ。

「音が出る一歩手前の沈黙のなかに/音を出す一歩手前の息遣いのなかに//音楽がある//声もなく/溢れるなみだに//音楽がある//塗りつぶされた黒い画面のなかを/くちびるから/空間に/か/す/か/に/流れ出す/白い粒子のような/かなしく色っぽい/最弱音(ピアニツシモ)の音に//音楽がある」(「音楽」部分、「か/す/か/に」は字下げと活字の縮小がある)

 山田兼士『月光の背中』(洪水企画)の作者は古市古墳群の町、羽曳野市に住む。古えに思いを馳せる「折り詩」や俳句による回文、関西にゆかりの深い詩人たちへの追悼詩などが収められる。表題作「月光の背中」は薬師寺金堂の月光菩薩を題材に、「月光仮面のうた」を折り込む。次の部分は行頭の文字をつなげると、「愛と正義のためならば」という歌詞の一節になる。

「あの金堂の月光菩薩は/いつも凛々しい立ち姿/ときどき拝観しに行くが/せなかを見ることはなかった/いつも光背に覆われている/ぎんの月を思わせる/のうめんのようなお顔は/ためいきの出るほど美しいが/めっとに間近で見られない/なら国立博物館「白鳳展」に/らいげつまで出開帳/ばしょは知っている」(冒頭部分)