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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩の集い「尹東柱とわたしたち2014」(7月11日喫茶美術館)

昨夜東大阪市の喫茶美術館で

詩の集い「尹東柱とわたしたち2014」が行われました。

前回の2013年の会は

詩人の絶命した2月16日に行いました。

今回は

1943年に逮捕された7月14日の3日前です。

詩人は

適用範囲を広げて改正された治安維持法によって

その命を奪われました。

何の罪もないのに、要監視人の従兄といたというだけで。

あるいはただ朝鮮語で詩を書いたというだけで。

しかしその詩は暴虐の風に身をさらしふるえながら

あるいはふるえるがゆえに美しい。

詩人の魂は一つ一つの言葉を今も

風にふるえる星のように煌めかせている。

この今という時に深まる闇の中で

尹東柱の詩の言葉はさらに輝きをましていく―

今回はネットでの告知も功を奏したのか

前回の2倍を超える50名ほどが集まりました。

また、逮捕の日に合わせて企画したので

特定秘密保護法がいよいよ施行されるという状況の中で

多くの人の関心を引いたということもあったのでしょう。

しかしそうした政治的な次元を超えて

会場に放たれる言葉の一つ一つを

みなが真剣に、それぞれの心で受け止めていました。

(私の話に出たリルケの表現をかりれば)

ミツバチがそっと訪れる花のように。

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全てはプログラム通り、進行しました。

尹東柱評伝』の訳者愛沢さんの話、

力強い歌声と演奏、

そして各朗読者の、尹東柱への思いと、

創作詩にこめた思い―

それらすべての声と音に

この凍りつかんとする社会を底から溶かす、

熱を感じました。

詩をとおして人としてまっとうに自由に生きようとする意志が

静かにたしかに伝わってきました。

以下、写真をアップします。

歌とピアノ演奏だけは、シャッター音がじゃまになるので撮るのを控えました。

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私は第一部の最後に「詩人の覚悟―尹東柱立原道造」という話をしました。

東柱はすでに中学時代から立原を読んでいたという推理から出発し、

同じくリルケに惹かれながらも

やがて時代と宿命の暴力がもたらした死の予感の中で

両者はリルケから別れ

蜜を断念したミツバチのように

それぞれの絶望に裏打ちされた「希望」の光へと

向かっていった―

そのような文脈で話をしていきました。

2014

立原は1938年9月

「戦争詩の夕べ」に参加しました。

そして宮城前での万歳三唱にも加わりました。

その背景には、この年8月、前年肋膜炎という診断だった病が、肺尖カタルと告知されたという事実があります。

自分という個の死が刻一刻と迫ってくるという危機的な状況の中で

一瞬、「散華」に永遠への希望を見出したのだと推理しても、

それはまったくの間違いとは言い切れないと思います。

話の最後に

同じ39年9月10日頃に書いたといわれる

次の詩を朗読しました。

この「うたへ」とは誰の呼びかけなのでしょうか。

「声」「闇」「光」とは何でしょうか。

1938年9月に絶望の底から立原が掴んだ「覚悟」=「希望」とは―

「この闇のなかで」   1938年立原道造

この闇のなかで 私に

うたへ と呼びかけるもの

この闇のなかで だれが

うたへ と呼びかけるのか

時はしづかだ 私らの

ちひさいささやきに耐へぬほど

時はみちてゐる 私らの

ひとつの声で 溢れ出るほど

とほい涯のやうに闇が

私らを拒んでゐる つめたく

身體は 彫像のやうだ

しかし すでに この闇の底に

信じられない光が 信じられる

私らの聲を それは 待つてゐる!