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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2015年1月19日付京都新聞朝刊掲載「詩歌の本棚/新刊評」(岡本啓『グラフィティ』(思潮社)、『新編石川逸子詩集』(土曜美術社出版販売)、山本美代子『湖北』(編集工房ノア))

「フェルナンデスと/呼ぶのはただしい/寺院の壁の しずかな/くぼみをそう名づけた/ひとりの男が壁にもたれ/あたたかなくぼみを/のこして去った/〈フェルナンデス〉/しかられたこどもが/目を伏せて立つほどの/しずかなくぼみは/いまもそう呼ばれる」。石原吉郎「フェルナンデス」の冒頭部分。戦後シベリヤに抑留され、帰還後も、人間の尊厳がことごとく?ぎ取られたラーゲリの記憶に苛まれた石原にとって、詩は自己救済の手段だった。人の名を持つ「くぼみ」のイメージは、天啓のように詩人にやってきたという。それは、人の尊厳が恢復された安らぎを、苦悩の詩人に束の間もたらしたのだろう。

 岡本啓『グラフィティ』(思潮社)は、アメリカから投稿された十三篇の詩をまとめる。人間の尊厳を?ぎ取る力に充ちる世界で、出会った人々のかけがえのなさを、痕跡や体温や匂いとして立ち上がらせた。「ここにいないからこそ書かなくては」という他者への思いと、「痛みをかんじる芯を、しっかり喰い尽くす」という自己への倫理のはざまへ、美しい比喩が垂直に降りている。表題作「グラフィティ」で、壁に残されたスプレーの殴り書きは、無数の「おまえ」の尊厳の証である。「おまえ」が非業の死を遂げても、その文字は上に文字を重ねられながらも残る。「ぼく」の言葉は、「おまえ」の柩になることを決意する。

「いったい、そのふるえ、激しい鼓動/それがいつかこの脈拍と/重なりあうことがあるだろうか/イーストリバーに沿った倉庫跡/あざやかに残るのは/乾きおえる間際にたれた、オレンジと青/煉瓦をゆっくりさわる/ここにあるもの、殴り書きでさえ/ここにあるものと、ありえたもの、その/揺らぎに身体ごと奪われる/だれかがいつか忘れていった声に/ふるえる瞬間がある/蛍光色でさけぶ/汚れたアルファベット/下が透けて見えるわけじゃない、ただ/なんども消すことで、たしかに、ほんの少し/分厚くなった」

 『新編石川逸子詩集』(土曜美術社出版販売)は、ミニ通信「ヒロシマナガサキを考える」全百号を発行し、詩作においても、原発や日本軍「慰安婦」の問題に長年取り組んできた詩人のアンソロジー。ここにある主体は、植民地主義や戦争によって非業の死を強いられた者たちの思いを伝える声である。次の詩で詩人は、少女が最期に呟いた祖国の言葉を、名も命日も分からない彼女の尊厳の証として、荒野の風の中に刻み込んだ。

「軍人たちはそれでもやってくる/あなたの病は 日に日に重くなり/からだはひどく熱っぽく/〈私 狼のエサになるんだろうか〉/そんな日に 日本軍はあなたを捨てました/逃げましょう 早く/誘う仲間に

/動けないからここにいます 姉さんたちと一緒に/アンニョンヒ カシプシヨ(原文はハングル表記=さようなら)/朝露のような涙をひとしずく こぼした あなた」(「少女2」)

 山本美代子『湖北』(編集工房ノア)の散文詩からも、他者の声なき声が聞こえる。キリシタンの祈り、空海箴言、そして無数の死者の声が、湖の中の銅鐸の音のように響く。作者の手法には、他者の尊厳への思いがある。レヴィナスの言葉を引用した一節―。

「��他者が 死すべき者で ある限りにおいて/私は 他者にたいして 責任がある�≠ニ 或る人は言った/私は メダカに対して 責任がある メダカだけでなく 自分も含めて 生きているもの全部に 責任がある/空から 音もなく 黄砂が降っている」(「黄砂」)