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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『詩と思想』7月号に「黒曜石の言葉の切っ先ー高良留美子『女性・戦争・アジア』から深く鼓舞されて」を書いています。

詩と思想』7月号(高良留美子特集)に、「黒曜石の言葉の切っ先ー高良留美子『女性・戦争・アジア』から深く鼓舞されて」を書いています。

 
『女性・戦争・アジア』は、土曜美術社出版販売から出た最新評論集です。
「詩と会い、世界と出会う」という副題がついています。
今号の特集はその出版記念もかねています。
 
高良さんの書き下ろし評論や一色真理氏と佐川亜紀氏との鼎談も。
どれも面白く、いくつもの詩の新たな切り口が煌めいています。
 
評論「小野十三郎の戦争詩について―その赤裸々な告白から考察する」では、戦後短歌的抒情を徹底的に批判した小野の物質性が、戦争にあらがう力とはならず、その戦争詩においては物質と万葉の精神のあいだで揺れ動いたこと、そして戦後の詩ではその矛盾は、生産力主義と新しい抒情のあいだの亀裂として現れたことが語られます。しかし小野の探求は、道半ばで終わったがゆえに、今に課題を突きつけてくるのだ、と。
 
鼎談ではとりわけ「物をして語らしめる」での論議が興味深く、参考になりました。
 
編集後記で一色さんが言われるように「物をして語らしめる」は、「高良詩学」の原点です。もちろんそれは、物が人間と深く関わる存在だからです。
 
(飛躍するようですが、高良さんの「物」へのスタンスは、最近展覧会で何度か見る機会があった伊藤若冲をふと思い出させます。伊藤若冲は「絵を描くのではない。物を描くのだ」というスタンスで描きました。人間と物との響き合い、共振のままに絵筆を取ったわけですが、三百年の時を超えて高良詩学を重ね合わせることが出来るようにも思うのです。)
 
高良さんほど詩=比喩を思想として突き詰めた詩人はいないでしょう。「物を内側から解放する」=「物にまで押しつめられた人間を解放する」新たな抒情を獲得するための比喩。ロシア・アヴァンギャルド。言語派と社会派の一体化―うんうんと頷きながら鼎談を読みました。
 
いまや絶対的な消費社会の下で、詩も記号化し散文化しつづけている結果、残念ながら現代詩固有の歴史や議論を振り返り、それぞれの実作において深めようという気運は見られません。そのような詩の世界において高良留美子さんがいてくれて良かったなとつくづく思います。
 
「戦争責任を「白紙還元」せずそれに向きあい、他者の光に刺し貫かれることで自己という「物質」を掘り下げ、根源にある実存の言葉を見出して生まれる詩こそが、待たれているのではないか。詩の歴史を辿り直せば、「存在」の次元で他者と対話し連帯し、存在の根もとから新たな社会を立ち上げる可能性が見えてくるのではないか―。『女性・戦争・アジア』を読みながら私は、自分が意識の上では限りなく「絶望」しているようでいて、その下では思いがけないほど詩への「希望」を抱いていたことに気づかされた。苦く、というより、深く鼓舞されて。」(拙文「「黒曜石の言葉の切っ先」より)

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