伏見稲荷大社を訪れました。
どこまでも立ち並ぶ千本鳥居の朱色が、九月の光に美しく映えていました。
とりどりに配色鮮やかな浴衣を着た多くの女性たちと擦れ違いました。笑いさざめきもまた、空気に優しい色を添えるよう。
何とはなしに、見ておきたかった歌碑がありました。あまりに光がまぶしく、立派な木の影が覆い被さり、刻まれた文字は見えなかったのですが。
むば玉の 暗き闇路に迷うなり
我に貸さなむ 三つの灯し火
足利尊氏に幽閉されていた後醍醐天皇が、吉野に逃れる際に、ぬばたまの闇にはばまれたが、この歌を社伝の前でよむと、ひとむらの紅い雲が現れ、吉野への道を照らしてくれた。。という歌です。どんな闇が立ちはだかったのでしょう。紅い雲とは、何だったのでしょう。
あにはからんや、千本鳥居のそばの草むらに、漆黒の猫が鎮座していました。金色に近い目が神秘的です。まさにぬばたまの化身のよう。。
鳥居の朱色は、生命の色、魔除けの色だそうです。そう、空の青と、山の緑と、こんなに映り合う色はないと思います。稲荷山をめぐる鳥居たちの参道はまさに産道で、柱の間から差し込む光や、包み込む木々のざわめきは、海の中にいるようでした。
しかし、夜ともなれば、今も後醍醐天皇の時代とさして変わらないぬばたまの闇が、この神域を支配するのでしょう。猪に注意、という看板がいくつも。烏が火のついた蝋燭を咥えていき、火災も発生したそうです。狐はいなそうなのですが、分かりません。
朱と闇、という対照が、問いかけのように心に残されました。明るい朱は、もしかしたら朱のままにして、すでに闇なのかも知れない。だから無限に続く鳥居を潜りながら、こんなに心がざわめくのだろうか、と。
伏見稲荷大社から歩いて行ける距離に、伊藤若冲がその門前で晩年を過ごし、若冲の墓もある石峰寺があります。この夏、その山の裏手に居並ぶ若冲デザインの五百羅漢たちに出会いました。その時感じた時を超えていきづく竹林の空気と、江戸時代から増え続ける千本鳥居の生命は、たしかに繋がっています。その発見も、嬉しく思いました。
注:五百羅漢の写真(上)は、パンフレットから。現物は撮影禁止です。