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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)

ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』をみました。『空と風と星の詩人』と同じく詩人をモチーフとした映画です。

 

『空と風と星の詩人』がモノクロで過去の朝鮮と日本を舞台とし、非業の詩人の宿命を「物語」として映像化した作品だとすれば、『パターソン』は、カラーで映像そのものにも懲りながら、平凡な日常を送る市井の詩人の「時間」を延々と描いた作品です。

 

「パターソン」と言えば、詩が好きな人、詩を書く人には、どこか耳に覚えがある名ではないでしょうか。そう、ウィリアム・カールロス・ウィリアムズの長編詩です。ジム・ジャームッシュは、この映画を撮る25年位前に、ウィリアムズがパターソンに捧げた「パターソン」を読み、この街に興味を持ったそうです。そして実際にふらりと訪れ、この映画に出てくる滝やビル街を見て回り、ここでいつか映画を撮りたい!と思ったと。

 

そして「ウィリアムズがパターソンという街全体を人のメタファーとして書いていた」ことをヒントに、「パターソンという男がパターソンに住んでいる、ということを思いついた」と語っています。「彼は労働者階級でバスの運転手で、同時に詩人でもあるという。こういうアイデアをすべて当時思いついたまま、長いことキープしていた」と。

 

やがて最初のアイデアは、いくつかの詩にも触発され、様々なシーンとなって現実化した、ということなのでしょう。そして細部の心理の陰影や映像美が枝葉となって広がっていき、七日間の反復しながらも変化する「時間」が鮮やかに生まれたということなのでしょう。まるで詩が生まれるように。

 

アメリカのニュージャージー州の、今はかつての繁栄もなく、どこか荒んだ風景も見せながら、しかし人と人の絆は壊れ切っていない街、パターソン。その市バスの運転手をしながら、詩を書く男パターソンの、妻や友人たちの悲喜こもごもと関わりあいながら、繰り返される日常の時間。それはいとおしくも、はかない。はかなくも、いとおしい。どこか子供のままの純粋さを色濃く持つパターソンにとっては、日常は繰り返されながらも、じつは流浪であるのが分かります。

 

妻と目覚める朝のベッド、朝食のシリアル、職場での同僚との会話、バスの乗客の会話、窓外の風景、滝の前でのランチ、仕事帰りに立ち寄るバー・・それらは全て彼にとって繰り返される日常でありながら、あてどない旅の途上であることをどこか身の内から感じさせます。さすが「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のジムジャームッシュ監督の映画だなと思いました。カメラワークも音楽もこの映画の次元を際立たせるもので、唸らせられました。

 

詩人を描いた映画でしたが、定住者が流浪者でありうること、定住自体が流浪である存在のあり方を描いたこの映画そのものが詩であって、監督こそは詩人なのかも知れないと思ったのでした。

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