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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2018年12月3日付京都新聞朝刊「詩歌の本棚・新刊評」

   松村栄子『存在確率―わたしの体積と質量、そして輪郭』(コールサック社)は、一九九二年「至高聖所(アバトーン)」で芥川賞を受賞した小説家が、十代から二十代後半にかけて書いた詩をまとめた。「卒論はフランスの詩人のイヴ・ボヌフォワについてであり」、「いつか詩集を出すのが夢で、実は詩人になりたいと願っていた」という。収録されているのは「小説を書き始める直前の八九年頃まで詩篇」。確かに小説の場面のような詩や、小説へ展開しそうな発想や論理も散見する。対象との関係を描く筆力、自己を外から見る視点、存在と時間についての科学的・哲学的意識―。詩から小説への過程というより、小説と詩のはざまに息づく言葉の未知の生命に出会える詩集だ。
「綴っておくこと/言葉にできないことは多い/けれどそれでも/綴っておくこと/自分を こうして秘密裡に/記号化し 象徴化し歪曲し/それでもなお/綴っておくこと/わたしのために/わたしの愛したもののために/わたしを愛した優しさのために/*/嫌懈(けだる)いけれど/柔らかさと/ともに/いま わたしは/あぁ一分もしないうちに 雨筋は途絶えて/でも わたしは/いけると思う――生きて/嫌懈いけれど/腕の重さ/足の重さ/は/ひとの命の重さ/なのかもしれない と」(「それでもなお」)
 松川穂波『水平線はここにある』(思潮社)は、作者の豊かな知性と感性の海に育まれた小さな詩的真実が、無数の波頭のように燦めく。生と死についての鋭敏なイメージが、柔らかな語り口とノスタルジックな比喩で語られる。読む者はくすぐられるような幸福感の中で、生の喜びと死の悲しみの未知の姿に出会う。生と死のはざまには、詩でしか捉えられない人間の時空があることを教えてくれる詩集だ。
「金色の目をしたひと/いっぽん足のひと/ツノのあるひともいた/おのおの濡れた髪を光らせて/松林の彼方に消えた/記紀のなかに迷い込んで/神になったひともいただろう/誰も振り向きもしなかった/乗り捨てられた流木に/今日も火が放たれる/三本指 怒髪 曲がった脊椎 ちぎれた胴/生き物めいたくさぐさの記憶を/涼やかに焚いてしまう/もののあはれなど/もろともに/浜で拾った小さな木片は/てのひらほどのひとを/運んだものである/火にくべるまでもない/からり/骨の明るみに届いている」(「日向灘」全文)
 日高滋『窓景 サインポール讃歌』(編集工房ノア)は、昨年三月に亡くなった詩人の選詩集。長年京都で理容院を営んできた詩人は鏡、イス、鋏、前洗面などを巧みに詩の要素とし、生活者の目線で固有な詩世界を切り拓いてきた。詩人亡き後、残された言葉たちは詩の中で平和への希求をつよめているようだ。サインポールとはあの三色の縞模様が回転する円柱のこと。
「このごろテレビが/町を映さはる時/サインポールがとっても映えますやろ/今日のニュースなんかでも/ぱあっとサインポールが見えると/いっぺんに庶民の生活が息づいて/子どもが寄ってくる暮しが巡っていく/平和な町のシンボルゾーン/ぐゅんぐゅんばあくゅんくゅんぱあ/〈ここに人々が生活している〉/〈ここに人類が平和に暮らしている〉/〈ミサイルなんかくそくらえ〉/クリーンクリーンクリーン……/大空へ世界へ虹のテープをくり出し/宇宙へも発信するサインポール/このまま自然発進していって/大空に虹をえがく日が/あすにも来るかも」(「サインポール讃歌」)