#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

12月18日辺見庸講演存在と非在/狂気と正気のあわいを見つめて—『月』はなぜ書かれたのか」

昨夜、新宿・紀伊國屋ホールで行われた辺見庸氏の講演「存在と非在/狂気と正気のあわいを見つめて『月』はなぜ書かれたのか」をききました。


最新刊『月』刊行を記念しての講演です。


風邪による熱を押しての二時間半、氏は会場に集った人々を、「友人たち」と呼び、たしかに個というものの存在の深みから体温のある声を放ってくれました。辺見さんの声はいいなあ、言葉に見捨てられていない声がここにあるなあとあらためて感じました。


(今回はメモを取らなかったので、以下は曖昧な記憶からおのずと触発されたものを、思いつくまま書いていきます。講演内容の正確な紹介ではありません。)


『月』は2016年夏の相模原障害者施設殺傷事件に衝撃を受けた氏が、おのずと書き出していたというフィクションです。講演の最初のほうで辺見さんは「私たちもみな返り血を浴びている。私は血煙の内側で書きたかった」と言われました。本の表紙に月という文字から禍々しく散る血しぶきが、脳裏に浮かびました。


この小説を読み始めた時私は、レヴィナスの哲学などをも語る「きーちゃん」の饒舌な語りに、作者自身の思念を濃厚に感じ、現実の被害者との距離をどう考えたらいいかやや戸惑いもしました。


しかし辺見さんは、主人公の「きーちゃん」は愛を込めて描いたと言います。その愛というのはたしかにあって、私も読み進めるうちに、おのずと違和感は消えていきました。


事件についての作者のとぎすまされた解釈が、きーちゃんの「思惟」に込められています。ふたつは一体化しているのだと言ってもいいのではないでしょうか。


きーちゃんの饒舌な「思惟」は、かつて氏の死刑反対をつよく訴える講演で聞いた、「人は最後まで思惟する。その思惟を奪うことはできない」という主張の反映でもあるでしょう。昨夜の講演でも死刑の問題に触れられていました。


きーちゃんは、人に伝わる言葉を発することが出来ない。何かを伝えようとすると、動物の叫びのようになってしまう。しかしきーちゃんは「思惟」をつづけている。鋭敏な感覚と想像力をもって。人間の心をこえた存在の心のような深さと広がりで。


事件の被害者は、講演でも語られたマリオ・ジャコメッリの写したホスピスの老人たち、薄命で異様なすがたのカゲロウたち、死刑囚などと同じく、最も弱いもの、消えゆくものたちです。しかしかれらは見ています。「視線を下に下に下げて」かれらと見つめ合うこと。そこには「死」があります。「死が訪れて君の目に取って代わるだろう。」と、ホスピスの患者を撮ったジャコメッリの写真のタイトルにあるように。その時私たちもまた障害者であることを初めて思い出すでしょう。


なぜ私たちは相模原の事件について「思惟」しないのでしょう。事件の被害者である最も弱い者たちの「思惟」を感受出来ないのでしょう。相模原の事件の後で喧伝された「命の大切さ」「誰しも生きる権利がある」という言葉はむしろ酷薄で偽善で冷たいのだと、辺見氏は講演で言いました。


「「ヨシ」という言葉をご存知ですか?」そう、「与死」。この国の社会は脳死を判定し、出生前診断をし、死刑を執行する「与死」社会なのだと。それは深沢七郎が「楢山節考」で描いた、後続世代のために乏しい食糧を譲り渡すため、ある年齢を過ぎた老人は山に捨てられるという共同体と、何ら変わりはないと辺見氏は言います。老人なのに歯があることを恥ずかしく思い、自らを歯を砕くというあの主人公の老女は、排除を恐れて自らを傷める私たちのすがたでもあるのです。


「何故在ったか。無くても良かったろうに。何故在るか、無くても良いだろうに。」


辺見さんがつよく影響を受けたという中島敦「セトナ皇子」の一節。存在というものがじつは、意味とは関係なく仕方なくあってしまうものだという、若くして亡くなった作家の強烈な存在論です。私たちは共同体によって与えられる意味によって死をもたらされている。しかし無くても良いのに在るのはなぜか、というこの存在論に突き落とされれば、与死の社会は揺らぐ。その裏腹としての「命の大切さ」といった酷薄な言葉は消える。最も弱い者たちの思惟そのものを表現する新たな言葉が立ち上がる。


講演では次の石牟礼道子の言葉も語られました。辺見さんは石牟礼さんからも影響を受けたそうです。


「原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人はわかるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。」


「昨三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電気にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが、カラスは一番さきに長崎にきて、カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ。」

 

(石牟礼道子「菊とナガサキ被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」)


今問題となっている徴用工訴訟、ヘイトスピーチ朝鮮学校無償化除外などの、あまりに残酷な実相がここに表現されています。日本の共同体は、少数派を排除する。「与死」する。辺野古の海にも、平和憲法にも、多数派とその傲慢で無思惟の「意味」は、こともなげに死を宣告する。そして殺されていく少数派の痛みをかえりみることはありません。なんとおぞましい「人間」社会と国家が続いて来たのでしょうか。


昨夜の講演のしめくくりに、辺見さんはどんなに醜くても怒り続けたい、と仰った。その言葉は、ともすれば多数派の共同体の論理にも、あるいは時には少数派自体にも映り込んだ共同体の論理にも負けて微笑んでしまいそうな、排除を恐れて怒りを手放してしまいそうな私に、とても大きな勇気をくれました。


個の怒りを手放さない。そこから個の思惟と言葉を生み出し続ける。デモや集会にはこれからも自分なりに参加しますが、個と個の関係を蘇生・創造することを願って行動していきたいです。


以上昨夜の講演の余熱の中で、雑駁でも発信しようと思い、書いてみました。NHKのカメラも入っていましたので、そのうち何らかの形でこの講演は放映されるでしょう。

f:id:shikukan:20181219152344j:plain