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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2018年12月24日付「しんぶん赤旗」文化面・「詩壇」

  齋藤貢『夕焼け売り』(思潮社)は、今も見えない放射線の恐怖と向き合う核被災地の痛みを、類いまれな詩的幻想の力で伝える。聖書の楽園喪失と一粒の麦としての「ひと」のイメージが作り出す不思議な時空は、古代でもあり未来でもある。訥々とした語りは原初の闇をかき分け歩むようだ。光は見えないが、光を求めてやまない悲しみがそれ自体光となり、こちらの胸に突き刺さる。
 表題作「夕焼け売り」は無人の町が舞台だ。
「この町には/夕方になると、夕焼け売りが/奪われてしまった時間を行商して歩いている。/誰も住んでいない家々の軒先に立ち/「夕焼けは、いらんかねぇ」/「幾つ、欲しいかねぇ」/夕焼け売りの声がすると/誰もいないこの町の/瓦屋根の煙突からは/薪を燃やす、夕餉の煙も漂ってくる。」
  もはや想像するしかない帰還困難区域の夕方の幻想的情景である。あの日からそこでは夕日は沈むことがない。なぜなら眺める人がいないから。美しい夕焼けは眺める人がいてこそ存在するから。そして夕焼けに続く夕餉や団欒も失われた。原発事故はそのような人間的な時間を「奪った」のだ。今も帰れない住民は「夕焼け売りの声を聞きながら」「あの日の悲しみ」を食卓に並べ、失われた夕餉を想い続けている―。
  原発事故という不条理を一方的に背負わされた被災者の、声なき怒りと悲しみ。福島に住む詩人はそれを痛切な暗喩で突きつけている。読む者がそれをしかと受け止めることは、核被災の痛みを分かち合うことに繋がっていくはずだ。
「ひとであるためのことば」「ひとであるために選ぶことば」を詩人は探し続ける。夕焼けという人間の時間を呼び戻すために。