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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2019年6月17日付京都新聞文化面「詩歌の本棚/新刊評」

  某誌の改元記念号に、二人の詩人が寄せた皇室賛美の文章が一部で話題になっている。前衛詩人が抒情的な言葉で礼賛したことに衝撃を受けた人は少なくない。戦前の抒情詩人の多くは、自身の抒情を対象化する批評力を持たなかったために、やがては戦争詩を書くに至った。よもやとは思う。だが戦前への反省から批評性に重きを置いて出直した戦後の詩の原点を、あらためて振り返りたい。
 田中淑恵『若三日月は耳朶のほころび』(東京四季出版)の作者は装丁家豆本作家としても知られるが、その出発は中学生の時。やはり手製本を作っていた立原道造の「人魚書房」に倣い、架空の豆本の版元も設立する。著者自装の瀟洒な本詩集には、立原道造の凜とした抒情と響き合う、端正で知的な抒情詩が並ぶ。表題の「若三日月」とは新月を意味する作者の造語。文学の素養に裏打ちされた古風な日本語が、新鮮な傷口のように現在の時空に抒情を切り出す。巻頭作「白鷺」は、作者の追憶が鴨川の光景にまつわらせる幻想の陰翳が魅力的だ。
「濡れた窓ガラスには鳥の落書/Wenn ich ware ein Vogel! /翅のむこうに鴨川の水が透けて見える/新聞の色刷頁はローランサン/年の初めのとよめきを 風が夕闇にのせてくる//立方に濃縮された空間で/ほそい潔癖はポキポキ折れる/ひるがえる炎の舌にさいなまれ/折れた潔癖は匂いも高き灰となる//それは折りたたまれたむかしの日/はじまりがもう終りであった/遠からず朽葉のように死にゆく恋が/あてどない流れに降りたそのはじめ//落書の鳥は翔び去った/窓を開けると 川の対岸(ほとり)に/白鷺がひっそりとたたずんでいた日」
(全文)
 船曳秀隆『光を食べてよと囁く螢烏賊』(朝日カルチャーセンター)の作者はは、大阪の教室で詩作を学んだ。本詩集は十九歳からの十年間教室で作った詩を編んだもの。作者の詩の原点は、祖母の「お手伝いさん」を見舞った十代に遡るという。親愛なる他者の喪失は作者に深刻な危機をもたらした。だが作者はやがて詩作の力自体に、内部から発光する「詩の光」を見出す。螢烏賊は敵に見つからないように夜間は光を消し、昼間は周囲の光と同じ明るさの光を出す。それでも昼に敵に見つかった場合は、一瞬眩しい光を出して逃げる―。表題作はそのような螢烏賊に、作者自身や周囲の人々を見立てて書かれた。そう言えば戦争期を生きた立原道造も、最期まで「詩の光」をランプとして掲げ、深まる闇に対峙した詩人だった。
「光を食べてよ/と 海に沈んだ/螢烏賊の僕は/云う//螢烏賊が水を跨(また)ぐ/海底の螢烏賊は/静かに光りはじめる//光が水で 薄暗くなる/それでも/僕の光は/周りの群へと/澄み切っていく//仰ぐと/僕より明るい 近くの螢烏賊/見下ろすと/僕より暗い 遠くの螢烏賊/群から/遠ざかりすぎないように//僕は/螢烏賊たちの光に/眼を開く/螢烏賊たちの光を追想しながら/光をくぐる」(冒頭部分)
 彦坂美喜子『子実体(しじつたい)日記』(思潮社)の作者は歌人でもある。本詩集には、日本の詩歌がジャンルを横断する可能性を、「拡散増殖し生成し続ける子実体」のように無限に問いかけたいという思いがみちる。
「ふわふわと胞子飛び散り発芽して/黴が/世界を覆っていく日/密やかな/接合の後の子実体 どこにも/だれにもみられないまま/ままは何世代にもわたって/同じ人間を/培養している 家の くらやみ」(「発芽して」冒頭部分)