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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2019年8月5日付京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

二十歳の原点』の作者高野悦子さんが亡くなって今年で半世紀。栃木の詩誌「序説」第26号所収のエッセイ高橋一男「京と(6)」を読んで気づいた。故
郷が栃木だったことも。同時代に青春を送った高橋氏は「永遠の憧れの対象」の残像を追い、京都の街を電動自転車で巡った。『二十歳の原点』は、自作詩や詩への言及が各所で目を惹く。詩が生死の間を揺らぐ彼女の救いだったのだとあらためて知る。詩とは何かを鋭く突きつけられるようだ。「ノート」を締めくくる詩の、深夜の湖に裸身を浮かべて眠る心象風景は、余りにも美しい。
 鎌田東二『夢通分娩』(土曜美術出販販売)は、昨年刊行の第一詩集『常世の時軸』(思潮社)に続く「神話詩集」第二弾。作者は『常世』で世界創生への祈りを込め、この世の果ての光景を描いたが、本詩集では生死を貫く深層意識での旅を「夢通」と名づけ、夢の展開によって常世のヴィジョンを次々獲得していく。神話には構造的な物語というイメージがあるが、ここでは空虚のただ中にさらされる者の苦悩と歓喜によって、壊れては生まれるヴィジョンが不連続に織りなされる。この詩集にうごめく闇は『二十歳の原点』の詩世界と、深く繋がるようでもある。  
「ひろがっているのは/どこまでも開放されつくしている天の穴と地の穴の/ふたつ//その二相を両眼としてきみは視る/みえないものを/みえるものをくいやぶって/ほとばしる稜線をかじる//分度器90度の悲嘆/沸騰する補助線//さわぐな/翁顔の笑顔の中に/とてつもない暗黒星雲/すべてを吸い込んでなおとどまることのない/負の永久音叉がかそけくとどく朝まだき//きみはいさぎよくひとりで逝った」(「猛霊」)
  竹ノ一人『哩(まいる)』(加里舎)は、表題(「マイル」)が表すように「距離」がテーマ。作者は「哩」の漢字と語感惹かれたという。「ひらがなの〝ま〟の遠い感じと、〝る〟という着地感。どこかに起点を置きたい気持ち、帰巣本能のようなものを、知らず自分のなかに持っていたのかもしれません。」また距離とは「引かれあう距離、反発する距離、交錯する距離、ただあるだけの距離」というように、それ自身の命を持つと作者は考える。遊び心のある仕掛けが風通しの良い詩集にしている。
「用心深い恋人のように/忍び寄り/ささやく葉ずれの旋律で/ひとを結わう//わずかなあげさげ/ゆりもどし/どこまでつれていかれたのやら/なにをわすれてきたのやら//足音がさり/千畳敷にひとり/天人たちは/やおら欄間へ戻っていく//旋律がほどけても/なお臨界のまま/おんたなごころのくぼみのなか/ハミングの漫遊がつづく」(「声明(しようみよう)―東本願寺御影堂」全文)
 秋川久紫『フラグメント 奇貨から群夢まで』(港の人)は、経済、会計、IT用語を「半ば強引に詩の構成要素の中に引き摺り込」み、音楽や美術や抒情と異種混合した「詩的断片」集。経済システムの「荒波に対する個の内面からの抵抗の姿勢」が、異物の混在を煌めくアフォリズムと独白へ昇華させた。
「【唐獅子】俺たちが鎮魂歌を詠うか否かは別として、死者の傍らに異界の獣さえ侍らせておけば化学変化が起きるだなんて、いくら何でも浅薄すぎるんじゃないのか?」
「【麒麟】オフィシャルに出来ないリスペクトを抱えて、焔の中を駆け続けること。月の光に恋情を含ませ、波濤の形状と相似をなすことを意図して踊り続けること。」