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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2020年10月5日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚/新刊評」

 夢の世界を列車で旅するという設定で詩を連作したことがある。詩の自由が未知の時空を開いていく喜びを、今も思い出す。自動筆記のように虚空から次々と湧き出す不思議な駅名や光景。それはどこか悲しみを含む至福の時間だった。
 浅井眞人『烏帽子山綺譚』(ふらんす堂)は、「烏帽子山村」という架空の空間で、月の満ち欠けという根源的な時間の中で人や物がいきづくありさまを、詩的想像力を駆使し、細部まで愛おしみながら描き出す。断章形式なのでどこからでも読めるのも楽しい。烏帽子山村では人と物は命の次元で交感する。山は空虚を孕み月と響きあう。月は光とその丸みで村の時空をまどやかに包む。生命と事物の関係の豊かな円環。「時はゆくが またもどってくる 同じ顔してもどってくる」という希望と慰めが、この詩集を満たしている。
五位鷺が 水分神社(みくまりじんじゃ)の檜皮(ひわだ)葺(ぶ)きの大屋根に止まって 見下ろしている//水分は 古きよき神 国々に水恵む神 子授けの神/社の前を 白々と一筋 烏帽子川が流れている/対岸に軒を並べて 小さな旅館 カフェ 荒物屋 豆腐屋 古物商/山菜ご膳 柿ケーキ 旅愁まんじゅう 蕗の佃煮/自慢の品書きが戸に貼ってある/戸には雨の痕がついている/村で 一番往来のあるところだ/かって この川には山(さん)椒(しよう)魚(うお)が生息していた/いまは銀色の波のした 何がいるのか知らない/旅館の中から泊まり客がひとり/川を眺めて朝餉をしたためている/うしろにある 村でたった一つの真空管テレビが 月ロケットを映している//いつのまにか懐手した五位鷺は 橋の下にきて 川面ばかりを見ている/橋は反(そ)り橋 ここを渡ると/楼門の中は 先駆けて 匂いのよい野菜籠のように 若葉で溢れている」(「水分神社」①」全文)
 武西良和『鍬に錆』(土曜美術社出版販売)にあるのは、作者が農作業する身体で鮮やかにつかんだ、自然の命あふれる時空だ。自宅だけでなく、畑や畑へ行く車中で書いたという。自然と格闘して見えた風景の輝きや自然との関係の手応えを、それらが消えてしまわぬうちに書き留めた言葉は短いが、端的で動かされない。そこから読む者に見たことのない時空が広がる。原初の人が感じた光や風さえ感じる。
「働き続けた手を/一休み/疲れを空へ放り投げる//風のないなか/頂点に達
したあと/降下しながら滑空していく/まるで紙飛行機//緑の葉先に触れるか
と思った瞬間/羽が動き草むらの上を/ふわり/そして繁みのなかへ//竹の先
にギンヤンマ/ときどき翅を震わせ/プルルプルル/まもなく蝶の飛行を受け継
ぐだろう//熱い陽射しのなか男もまた/手のなかに鎌を取り/草を刈り始める」(「アゲハ」全文)
 風呂井まゆみ『由良 三庄太夫』(編集工房ノア)の作者は、人生の長いトンネルを抜け、故郷由良の時空に再会した。作者を呼んでいたのは、村の鐘の音と三庄(山椒)大夫と酒呑童子の伝説。作者は伝説を歴史として自覚することで、自己を回復していく。 
「鐘が鳴る。/時計を見る。/五時。/なつかしさがこみ上げる。/今も向かい
村のどこにも寺など見えない。/私の内の鐘とゆっくり共鳴してゆく。染み付い
ている鐘の音。田畑から帰る子どもたちは見えない。桑の実で唇を紫色した子ど
もたちも何処にも見えない。/私は何を探しているのか。//変わったもの 変
わらないものが交錯してゆく。」(「ふるさと」)