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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

水田宗子『詩の魅力/詩の領域』(思潮社)

水田宗子さんの新エッセイ集『詩の魅力/詩の領域』(思潮社)は、詩というものの人間にとっての存在理由を、沈黙、深層意識、身体、記憶といった根源的な次元から思考の光を照らして浮かび上がらせた、今非常に重要で興味深い一冊です。

 

私自身、じつはこのところ詩とは精神や思想を超え無意識深くまでに至る、心全体に関係するものだと確信し始めていたので、この水田さんの詩論集の刊行には、シンクロニシティさえ覚えました。

 

さらに驚いたことに、この本の掉尾を飾るのは、私が2007年に紀州・熊野をフィールドワークして書いた詩をまとめた詩集『新鹿』について書かれたエッセイだったのです。しかし私には、ただ自分の詩集が取り上げられたという以上の驚きがありました。

 

というのも、先述したように私が詩を心との関連で捉えようと思ったきっかけが、じつは『新鹿』と『龍神』の2冊の紀州・熊野フィールドワーク詩集の再読(再考)だったからです。

 

なぜもう十年以上前の詩集をあらためて読んでいたのかといえば、来年11月に「わかやま国民文化祭」でこの2冊についての講演をすることになって、その準備を少しずつ始めていたからです。もちろんまだまだ先の話で準備はゆっくりでいいのですが、ふと考えだすとなぜか止まらなくなり、当時の記憶が次々と鮮やかに蘇って来る中で、ついには詩と心の関係にまで思い及んでいた、というわけです。

 

本書での水田さんの詩へのまなざしは、今の私のそれと確実に方向を同じくするものです。こんな風に、心の底へ降りていくように十年以上前の詩集が読まれ、論じられていることに、私は深い喜びと励ましをもらいました。

 

2007年当時は、じつは私は病み上がりで、紀州・熊野に癒されに行ったという側面があったのですが、そこで私はつねに「懐かしさ」を覚え、そのことで癒されていたのでした。それは、中上健次さんという現実には会ったことのない死者の記憶の(記憶の)蘇生から来る「懐かしさ」であると共に、それと同時にもたらされた、いつしか見失っていた自然や人間、そして自分自身の命の輝きの回復による「懐かしさ」だったのだと、このエッセイを読みながらはっきりと見えて来ました。

 

本書は、様々な書き手の詩を丹念に根源的に論じた九つの章から成り立っています。そこから、表層から根源へと解き放たれた詩の命が、今この時に、懐かしくざわめいて来るようです。

 

「失われた者は、死者も、忘れられていく。それは記憶が薄れていくことであり、記憶のインパクト/衝撃が消えていくことなのだ。詩人はその記憶の蘇りの衝撃を求めて旅をする。それは記憶の刻印を残す場所や土地、風景があるからだ。たとえば芭蕉の旅にしても、それは文学的故人を忍ぶのではなくて、自分の中の『記憶のある場所』を蘇らせるための内的な旅なのだ。」


「河津聖恵の紀州への旅は、作家がいた場所、作品からこぼれていったものが堆積している風景に自分も立つことによって、より深い記憶をたぐり寄せ、内面の痕跡にもう一度向かい合うだけではなく、それを『今』というときに立つ自らの内面にさらに強く刻みつけるための内的な旅であるだろう。」


紀州・熊野の「懐かしさ」とは、記憶の(記憶の)痛みでもあったー。本書を読むことから私自身にも新たな詩論が始まる予感がします。

 

今という混迷の時に、詩と根源的に向き合い直すための最上の一書です。

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