10月8日、東京新宿区の牛込箪笥区民ホールで
辺見庸講演「それでも死刑は必要なのかー3.11の奈落から考える」を聴きました。
世界死刑廃止デー(10月10日)を記念した集会の第1部です。
(残念ながら時間の都合で後半部の120名の死刑囚のアンケート報告や、死刑囚の母である大道寺幸子さんが残された基金によって集められた死刑囚の文芸作品や絵画などの作品をめぐるシンポジウムは、聴くことができませんでした。)
辺見さんの講演は期待通り濃密な一時間半でした。
会場は超満員、入れなかった人はロビーでモニターで聴いていました。
耳を澄ませ眼を凝らす聴衆たちの熱気が終始会場にこもっていました。
辺見さんの話は内容もさることながら
言葉が声と一体となった強さで胸に迫ってきました。
ひとつひとつの言葉が3.11以後言葉に対して私達が感じている虚しさや不信感を
言い当てることで鋭く貫いていきながら
胸底に確かに差し込んできたのでした。
(以下、引用はメモから再現したので誤りがあるかもしれません)
「3.11に一体何が起こったのか、誰も語りえていない。数字や美談だけが次々と突き付けられるが、危機の本当の深さと意味を語る言葉はない。私達が欲しているのは、ナショナルヒストリーでメモリーでもない。個としての危機の深さと意味を語ろうとする言葉が必要だ。」
「3.11以後死と終わりの風景が間違いなく剥き出されてきた。なぜ見えなくし、美化するのか? 3.11以前の言葉や文化で真っ暗な陥没部分を埋められるはずかない。」
「もしパウル・ツェランの詩のような言葉に耳を傾ける社会だったら。ツェランの詩はファシズムを暗に描くが、言葉の底力、喚起力を感じない訳にはいかない。」
「3.11とは何だったのか? �@cogito ergo sumを手もなくなぎ倒し否定した。�Aモノ全般をなぎ倒し、これ以上ないであろうabstract artを現出させた。芸術、宗教、技術の全的否定=神話破壊。�B現在という書き割り的な時空間があっけなくめくりかえされた。」
3.11はそのような、ことばと世界の神話的破壊だったのに、
この国のひとびとは日常の慣性に無気力に乗り続けています。
そしてひとびとの無気力に支えられた国家は、
死刑さえもルーティンワークのようにこなそうとしているのです。
「明日人類が滅びる時に死刑を執行することは、もちろん最も愚劣である。今確定死刑囚は121人で戦後最高だが、産経新聞などメディアは早くやれといわんばかりだ。121人を絞首刑していないことが、生活に何か支障があるかのごとき報道だ。」
恐ろしい話です。
震災であれほどおびただしい人が死んだのに、この国は依然として死刑を執行し続けようとしています。
あるいはメディアが主導して死刑を求め続けているのです。
そんな非文明性、非人間性がある限り私たちの国家は先進国とは当然いえません。
(全世界の7割の国々がすでに死刑を廃止し、廃止の流れは、欧州だけでなくラテンアメリカや中央アジア、アフリカ諸国、そして東アジアにも浸透しています。例えば韓国は今年9月8日に死刑執行停止5000日を迎え、モンゴルでは2010年に死刑執行の停止を正式に宣言しています。)
死刑を肯定する限り
震災の死者ひとびとりに対する哀悼を、私たちは本当には持てないと思います。
「人を殺したから殺すのはとうぜんだ」という空気が日本に満ちているならば、
死刑囚は汚いゴミだ、人間じゃない、殺したっていい、という言説を
さして否定することもないままであれば、
そして死刑が執行される日も御飯を食べ笑い愛し合ったりもするならば、
震災の死者への哀悼も愛も悲しみもいつわりであると証されるでしょう。
「日本は、今ほどファシストにとって成熟した空気のできている時はないだろう。フクシマのメルトダウンよりも恐ろしい事態だ。」
恐ろしい指摘だと思いました。
しかし私もずっとそう感じていました。
フクシマの放射能よりも、排外主義や人権感覚の喪失、ファシズムの足音の方がもっともっと怖い。
ファシズムの足音。なぜなら他者のいのちの尊厳に対する感覚を失うことは
自分自身の思考を持てなくなるということだから。
「おもう」ことができなくなること、
何者かに容易に操られる生きる死体となることだから。
そう、生きることとは「おもう」ことなのです。
そして人は生きる間は、生きるための存在としてあらねばならない。
そのような根源的な感覚こそが大切です。
人は「おもう」限り生きている、生きるべきである、というアプリオリな実感が必要です。
最後に辺見さんは今年7月3日に読まれたある句を紹介しました。
「くらやみの いんえいきざむ はつぼたる」(表記がこれで正しいのか分かりません)
螢の北限が岩手か青森であることを思い合わせると
この「はつぼたる」は福島の螢かもしれない、と辺見さんは言いました。
つまり、フクシマの放射能に汚された螢ではないか?と。
「だが作者は30数年間、螢を見ていない。」
会場全体が一瞬息をのんだように静まった気がしました。
「なぜなら作者は死刑囚だから。そして病んでいる。だが彼はcogito(おもうこと)をした。独居房で、放射能の波動のように明滅する螢を一つ「おもった」のだ。「おもった」彼を殺していいのか?」
すごく印象的な講演の終わり方でした。
うちふるえるちいさな螢の光が
自分のいのちにも冷たくふれて過ぎていったような感覚をおぼえました。
「おもう」というのは闇の中に螢の光を灯すことなのだと実感しました。
今夜も小さな光が
独居房で明日への不安を抱えてうずくまるひとの中に生まれているのでしょう。
そのひとはたしかに生きている。
螢のように鼓動しながら「おもい」、生きている。
そのことを、この国のすべてのひとがおもわなくてはいけないはずです。
震災の死者、そしてすべての死者のためにも。