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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

9月15日付京都新聞掲載「詩歌の本棚・新刊評」

  大阪の季刊詩誌『びーぐる』28号が、「石原吉郎と戦後詩の未来」と題した特集を組んでいる。石原は今年生誕百年を迎えた。戦後約八年間シベリアに抑留され、帰還後詩を書くことで極限体験と向き合った詩人である。同誌で一色真理氏は、3.11後の日本で今最も読まれているのは石原とツェランだとし、その理由をこう推測する。「大震災と原発事故後の閉塞した社会で、すべての言葉や行為から意味が失われ、虚しいと感じられたとき、理解を拒むほどに堅固で、不条理なほどに美しい詩人の言葉にこそ、世界に意味を回復できる力があると感じられたからではないか」。

『現代詩文庫 三井葉子詩集』(思潮社)は、昨年一月に七八歳で逝去した詩人のアンソロジー。大阪の言葉と情感の中で生まれ育った詩人の詩は、複雑な家庭環境だった幼年期の悲しみが終生存在した。だが晩年の大阪弁の詩は、リズムと音韻が明るさを呼び込み、不思議な魅力を醸している。詩人は石原吉郎とも交流があった。詩「秋の湯―石原吉郎のてがみ」とエッセイ「石原吉郎へ―遅れた手紙のうち」は、石原の私信の一部を引く。石原への追悼詩である「秋の湯」の末尾部分―。

「秋の昼。わたしは片あしを湯で探りながらさざ波立つ波をみています。石原吉郎がしずかにしずんだのかもしれない葡萄いろの湯――にあしを入れながら。//この秋のひかりのような繊い。生きていたころの石原吉郎のてがみを――まだ、生きているわたしの肌身に浴びているのです。そんなにも繊かったことばを思い。わたしはわたしの粗さを恥じています。粗野がこのように繊いものを生むために粗くうねっていたのかもしれない湯を。打ち返し。おんなの粗(あら)む性(さが)を恥じているのです。/しずかな秋の湯。」

 岩堀純子『水の旋律』(編集工房ノア)は、前作『水の感触』以後の二年間に生まれた作品を編む。両詩集は「三年という短い間」に書かれ、「心的状態や状況など切り離せないもの」がある、いわば魂の連作である。作者は五感そのものとなり、自然の転変に身をさらすが、自然そのものにはなり切らず、むしろ深淵に見つめられる。だが「私でない、だれでもない私」「どこまでも、私のような私」が熱帯の生の輝きに圧倒され生まれた詩は、比類なく美しい。

「明けはじめた空を/切り裂く鳥の声/樹々のこずえが/オレンジ色に映えている/透ける暗闇の奥で/鬱蒼と繁る葉が/風に鳴る/すべてはまだ闇を纏い/濡れた重い呼気に/蔽われている//森の海原を/生きものの群れが/越えてゆく/過去から未来へ/はてなく連なる/うねる帯/めぐるいのちの/密かな連鎖/(…)/一羽のカカトゥアが/ひときわけたたましく啼く/いつのまにかわたしは/花の腐乱した匂いに満ちた/ざわめく朝の市場に来ている」(「熱帯の朝」) 

 秋野かよ子『細胞のつぶやき』(コールサック社)は、「風の匂いがきこえる」「光を嗅ぐ」「光が轟く」というようないわば共感覚的表現が、魅惑的だ。作者は福祉の現場で様々な障がい者と接してきたという。その体験が根源的な詩の力をもたらしたのか。

「家の人が植えてくれた/銀木犀/丸く大きな木になって/白い星粒が雲のように/咲いています/匂いをつたえることばがない/つつつつ………/金木犀と違うのです/この星の匂いではなさそうです/遠い 遠い星の香り//音でしょうか/体の芯のほうから響きます//夜は 東の星空を嗅いでください」(「星の匂い」)