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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

12月23日NHKEテレ「こころの時代〜宗教・人生〜『小さき者に導かれ』」 (1)

12月23日にNHKEテレで放映されたKokoro
「こころの時代〜宗教・人生〜『小さき者に導かれ』」に感銘を受けました。

出演は、牧師・高麗博物館理事である東海林勤さん、きき手は徐京植さんです。

東海林勤さんは牧師として、
イエスが「小さき者」、つまり弱き者、虐げられた者と共にあったことを信念として
活動してきました。

東海林さんと徐さんは
1971年軍事独裁下の韓国で民主化運動に関わり国家保安法に基づいて逮捕された
徐さんの兄である俊植さん、勝さん兄弟の救援活動を通して出会いました。
当時早稲田大学の学生だった徐京植さんにとっては
東海林さんが立ち上がってくれたことは大きな支えになったそうです。

まだ日韓関係が不安定な状況の中で様々な困難に遭いながら
兄弟の支援のために韓国に渡った東海林さんは
大きな出会いを経験しました。
徐さんのオモニとの出会いです。
オモニは韓国の当局から、息子たちに転向を勧めろと言われていました。
しかしこう繰り返すことで拒んでいました。
「あれはあれで考えてやっていますから。無学な自分が何を言ってもきくような息子ではありません」と。
東海林さんは
このオモニの言葉には、息子に対する絶対的信頼と、その姿勢で生きていけという指示を見て取ったと言います。
そんなオモニに、東海林さんは
民衆の原像に初めて会ったような気がしたそうです。

しかしオモニは1980年、光州事件の年に病に倒れます。
「夜はまだまだ明けない」と言い残し。
東海林さんはオモニとの出会いを
「大きないただきもの」と表現しています。

人と出会うことは自分を変えられることであり、
人は感動に揺さぶられて生き始めるしかない─

そのような東海林さんの新しい人間認識は、
オモニとの出会いと、
そして二十年近い獄中においても人間的態度を失わなかった徐兄弟の
悲しみと戦いによって原点を与えられたのです。

他者によってその生と信仰を深められていった東海林さん。
その言葉は、「揺さぶられた」内的体験からつかまれたもので
誠実な声音と共に、私の心もまた揺さぶられました。
「ことがらが迫ってきて、反応させられた。これは何だ? という仕方で生きていくしかならなくなった。」
この言葉をきいて
自分にもそんな経験はあるなあ、とふいに思いったり。
とりわけ最近、朝鮮学校の生徒や関係者の人々の真摯な思いや言葉から
魂のまんなかで受け取った透明な波動のようなものが、それに当たるなあ、と。

その後、さらに自分を変えるいくつかの出会いが東海林さんにもたらされました。
キリスト教学生寮の舎監を務めていた時に
かくまったベトナムからの兵役拒否兵。
そして1960年代後半、留学先のアメリカの神学校で
出会った同室の友人。
アメリカが支配する途上国に行き、社会活動をした経験から
自分の国を泣いて問う彼に揺さぶられたと言います。

虐げる側にいる満足したクリスチャンであってはならない。
虐げられる者の悲しみ、怒り、呻き、そして彼らが求めている絆。
かれらと共に生きることなしには生きられないような姿こそが、
イエスに従う者ではないか。
そうでない形で満足している教会とは何か?

そのように様々な出会いの過程において東海林さんは
みずからとキリスト教と社会の関係のあり方を
他者との出会いによるイエスの捉え直しという根源的な次元から
問い直していきました。