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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

現代詩手帖3月号「鈍銀色の沈黙に沈んでいる──新井豊美さんのご逝去を悼んで」

去る一月二十一日に、詩人の新井豊美さんが亡くなりました。七十六歳。
いまだ亡くなられたとは信じられません。
それは恐らく私にとって、新井さんの詩が、言葉による永遠の生命をかちえているからに違いありません。
詩人の死とはそのようなものなのでしょう。Arai
闇が深まり星が輝き出すように、詩人を超えて言葉が生き始める──。

現代詩手帖3月号
鈍銀色の沈黙に沈んでいる──新井豊美さんのご逝去を悼んで        河津聖恵
                                                                                                                                                                 

   新井豊美さんと初めて出会ったのは、詩の中の海辺である。四半世紀前、渋谷の「ぱろうる」の薄暗い店内で、『いすろまにあ』の色鮮やかな表紙にふと立ち止まった。めくり当てた頁は「JIN JAN HAI」。詩の水に映り込む船の陰影が、ふいに自分のどこかに重く下ろされるようだった。蹲る老婆が自分の中の死者に向かい「…ちゃん」とあげるおしころした叫びもまた。「わたしはそのように熱くひとの名を呼ぶことはない」という一行が謎のように心に残っている。「呼ぶことはない」という断定に、意志のつよさと美意識があった。あの吃水線は、人間のみじめな宿命とつりあおうと揺れていたのか。光と影が何らかの均衡を獲得するまで待とうとする、詩人の忍耐の姿勢を感じた。
 現実にお会いしたのはたしか一九九一年。新宿のアルプス広場だった。他の方々も交えての初対面だったが、記憶からはなぜか、多くの旅人の影が行き交う異国のバザールのような空間の片隅で、銀色の柱にもたれた新井さんの姿だけが浮かぶ。薄絹めいた素材のゆったりとした緑のスーツに身を包んでいた。柔らかくカールした髪を揺らせ、こちらに向けられた優しい笑顔を思い出す。その後詩集の栞を書いて頂いたのをきっかけに、国立のご自宅にも伺うようになった(私もまた国立に実家がある)。玄関脇から書斎の本棚まで、詩集や詩論がひしめく家の空気はどこか香り高く、まさに詩に護られた空間だった。窓辺に鳥たちがさえずる書斎で何度も何かを語り合った。今は交わされた具体的な言葉よりも、詩人のアルトの声と、ケトルが立てる蒸気の音と、その時の静寂だけが不思議に翳るように喚起される。それらは私にとって詩人の世界のエッセンスそのものである。そこで新井さんに多くの我が儘や悩みもきいてもらったのだが、それがじつはありえない僥倖と至福の時だったことを、今になって思い知らされている。胸深くに甘美な痛みが走る。
  家の壁には、詩人が写した一枚のモノクロ写真がある。シチリア島パレルモにある古いホテルの無人のレストランの、重厚な室内。テーブルの上のグラスたちが、光と影に存在を研ぎ澄まされた一瞬が見事にとらえられている。その鈍銀色は、時間を越えた詩人のまなざしの静謐さと清冽さであると共に、これから始まる声の、今しばらくの沈黙でもある。