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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「詩と思想」10月号に評論「「死者にことばをあてがえ─詩人辺見庸のことばが触発するもの」を書いています。

Photo詩と思想」10月号が届きました。
特集は「東日本大震災─悲しみをこえて─」。
震災を記録する詩100編。宮城の詩人・佐々木洋一氏インタビュー。被災地からりレポート。高銀氏はじめ韓国詩人からのメッセージ。
小特集は萩原朔太郎

私も震災特集の一環として、
「死者にことばをあてがえ─詩人辺見庸のことばが触発するもの」を書いています。
このブログでも何度も記事にしましたが、
震災後の辺見さんの各紙に掲載されたエッセイ「非情無比にして荘厳なもの」、NHKで放映された番組「瓦礫の中からことばを」、そして「文學界」6月号の詩篇「眼の中の海─わたしの死者たちに」をとりあげています。
そこで書かれたまたは語られたことばは、この今という時に私の中から今も何かをつよく触発するのですが、その触発が一体いかなるものか、どうしても書いて確認し、伝えておきたかったのです。
なぜなら辺見さんのことばが私の中から触発する感情や予感は、
私だけが感じとるものでないからです。
そのことばの力は3.11をこえてなお生きる人間すべてが
じつはおのずと深く抱え込んでしまっている現在的かつ根源的な欲望を触発し、
新たな共同性へ向かうために今このときを耐えることを支えてくれるものだと思います。

「だが死者の肺に、「ひとりびとり」の歌をあてがい、「ひとりびとり」のことばを吸わせるなど、生き残って死を恐れる誰に出来ようか。だがそれでもこの実行不可能な命法は、ひとを無限に慰める。なぜなら、3.11以来、生き残った者は、無意識の水底でずっと死者の呼び声を聴いているはずだから。多くの心ある生者は今、その声に苦しめられ、死者の影のように生きているのだから。「ひとりびとり」の歌を、ことばを、その肺と唇にあてがってやりたい、そして死者をことばの中で、安らかに抱きたい──この思いは、この国の(ことばを持つ存在として責務を負う)ひとの、現在的かつ根源的な欲望である。私たちは、おのずと深く抱え込んでしまっているこの悲痛な欲望と、もっと誠実に向き合う必要がある。再び無表情に動き出した「日常」のシステムによって、内なる死者たちを忘れさせられ、復興や再生や未来を語らされてしまう前に。」

なお今号には、相沢正一郎さんが私について、詩人論「星座について読む」を書いてくれています。朝鮮学校無償化除外反対の活動に至る、全仕事の連関を星座のように解き明かしてくれています。