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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

3・26関西集会でモラルについて考えさせられました

26日に行われた国際婦人デー3・26関西集会は、Rimg2048_3
私たちの朗読だけでなく、映像上映や報告や意見交流など大変充実した内容でした。
映像は、労働者問題を考えるグループならではの、各地の労働運動の様子をまとめたものです。

おぼつかない記憶ですが、会で見聞きして参考になったことを
ちょっと思いだしまとめてみます。

まず、2008年のリーマンショックから世界恐慌が始まりました。
財政基盤の弱い国から、財政赤字の問題が生じてきました。
そして、財政赤字の改善を理由に、「緊縮財政」政策が幅をきかせはじめた。
社会的弱者や労働者が犠牲にされ始めたのです。

しかし労働者は立ちあがりました。
上映された映像は、世界各地のかれらの闘いを追っていきました。

ギリシャからEU諸国へ波及するヨーロッパのゼネスト
そしてその闘いが北アフリカチュニジアやエジプトの闘いへと波及しました。
(あれらはマスコミでよく言われるような宗教的な闘いではなくて、人々の要求は失業問題や社会問題なのだということです)
アメリカのウィスコンシン州では、予算の削減をきっかけに
公務員の団体交渉権を剥奪しました。
それに対し、労働者だけでなく学生や市民が一緒になって反対活動を続けているそうです。
(しかし、公務員が映像のように怒りをあらわにするなんて、日本では考えられないことだとつくづく思いました)
そして、日本では日航の、昨年の165名の解雇に対する闘いが続いています。

しかし昨今の不況下で労働者が経営者と闘うなんて、まさに命がけです。
とりわけ今の日本では不可能なような気さえします。
最初私はそう思い、映像に違和感さえ覚えました。
一瞬いつの時代の話だろうかとさえ感じました。
この国では大阪府橋下知事が陣頭指揮する公務員攻撃こそが、
まるで正義のように語られるのですから。

しかしならばなぜ、時代の流れにおしつぶされるような闘いを
世界の労働者は続けているのか。

それは人間性のために必要だからです。
生存のためだけではありません。

それは、モラルの問題だからなのです。

労働者が闘わなくなった、あるいは闘えなくなったからこそ、今、労働の現場でとめどなくモラルが低下している(セクハラなどはそのさいたるもの)──。
報告者の見解に、私は深く頷きました。

たとえば今
公務員である良識のある教師が君が代反対を唱えたとしても
正規雇用の労働者が憲法九条を護れと叫んだとしても
「恵まれた地位にいながら何をきれいごとをいっているのか」
といういわば敵対感情を抱くように
私たちはし向けられているのではないでしょうか。

そのようにモラルの低下とは今
人々が人間として当然持つべき倫理を見失い
マスコミが何らかの意図をもって流す世俗的な他者のイメージに
嫉妬や憎悪という動物的な感情をたやすく刺激されることです。
自分でも気づかぬうちに。

では、そんな現場で良識ある者はどうしたらいいのか──
とどのつまりは、「自分たちの権利を守る闘いを見せていくしかない」のです。
意見交流の時間にそう語った人の言葉に、
昨年、徐京植さんが京大での講演会で語った言葉がふと思い出されました。
徐さんはその時、
帰化する友だちがいるがどうしたらいいか、という在日の人の問いに対し
「不服従を貫く人は他人に強要はできない、実践してみせるのみなのだ」
と答えました。

そうです。
正しいと思ったことは、もはや他人に強いることはできないのです。
現在というモラルの劣化あるいは散逸した時代においては。
そしてもしかしたら原理的にも、他者に自分の正しさを強いることは、不可能なのかもしれません。
だからまず自分が行為し、
そのことで、自分の正しさが正しいことを、
つまり「正しさの正しさ」を分かってもらうしかないということです。
それは一見、果てしない非望のようですが
しかし大いにやりがいのある賭けでもあるでしょう。