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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

お盆に読んだ本�@水野崇・渡久山章『地球の未来を見つめて──アメリカと沖縄からの発信』(新星出版)

お盆に二冊の本を読みました。Image1484
二冊ともタイムリーな書でしたので、酷暑の中でも集中して読めました。

まず、水野崇・渡久山章『地球の未来を見つめて──アメリカと沖縄からの発信』(新星出版)。

水野氏は、21年前、1991年に日本からアメリカ、ニュージャージー州デラウエア河畔にあるテイラー農園に家族と共に移り住みました。日本では有機農業を営んでいました。
アメリカ移住後、州立ラトガーズ教育大学院で複数言語・文化教育学を学び、ラトガーズ大学や琉球大学で教育の仕事にも携わっていました。

この書の半分は、水野さんが書かれたエッセイなどで占められています。
もう半分は、琉球大学名誉教授の渡久山章さんの沖縄についてのエッセイや提言。

水野さんは日本人の移民として、アメリカの自然と語り合いながら、地球の変化を鋭敏に感じ取る生活を送っています。
その間、アメリカから遥か海でつながった沖縄に行きリゾート開発問題に携わったこともあります。

この現代に、日本人がアメリカに移民して、農業を営む──そのこと自体、私には大変奇跡的なことのように思えます。
日本人が通常アメリカに行く場合、商用か勉学か旅行かだと思いますが、それが水野さんの場合、ダイレクトに異国の土を耕すことだったということです。

異国に移り住んだ時、まずアイデンティティにとって問題になる「根づき」あるいは「根こぎ」という問題が生まれます。
けれど水野さんはその異質であるはずの異国の土にまず触れてしまうことで、その問題にまっすぐに向き合うことが出来たのではないでしょうか。
人よりもまず土=自然に受容されることが大切だったのではないでしょうか。
アメリカというところは行ったこがないので分からないのですが、
大自然もまたアメリカの主体の一つだということでしょうか。

「(注:気候変動のために大雨が続いた後で)このような異変の中で、染織芸術に携わっている志村ふくみさんの言葉の中にある『語りかける花』を味わっているうちに、私にとって語りかける存在は何かな、と考え始めました。それは土ではないかということに気付きました。一ヶ月ほど前、畑に馬糞と麦のわらを撒き、トラクターで土を起こしました。冬の間に固くなっていた土は砕かれ、下の土は上に出され、空気にあてられました。その後さらにトラクターで土を細かく砕かれ、微生物の栄養分を補給され、酸素も十分に供給された土は、見事に変身をとげ、野菜たちを育てる準備を始めているように思いました。畑に入って土の色や過ぎたを眺めていると、土と私との間にあるつながりが確かに感じられました。」(「語りかける土」)

アメリカの移民の言語教育について書かれた第二章も、日本における朝鮮学校の問題を考える時に、とても参考になりました。
多民族国家において、国家語=英語と移民の母語の関係は大変複雑です。しかし「英語を母語第一言語としない児童に対して児童の学習の権利を保障する措置」=ラウ措置というものがあるそうです。一方、世論は、移民に「母語の維持を認めようとしない」。自由と抑圧が同時に存在する国なんですね。

ちなみに、私が水野さんと知り合ったのは、今年1月に、前田朗さんのブログでの「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」の紹介記事を見た水野さんが、直接メールを注文して下さったことから。
その後、とりわけ原発事故が起こってからは、アメリカからだからこそ、世界的な視野で集めうる情報を、毎日のように送って下さり、日本の内部によどむ諦めの空気に沈みかけていた私を、いつもハッと目ざめさせてくれます。