震災直後に出された「朝日ジャーナル・知の逆襲第2弾」に掲載された
辺見庸さんの論考
「標なき終わりの未来論──パプティコンからのながめ・生きのびることと死ぬること」は震災の前(恐らく直前?)に書かれたものです。
現在の危機の実相と、近未来の薄明るい地獄絵図が描かれています。
書かれた時点でこの詩人が震災と原発事故を鋭く予感していたことを知りました。
恐ろしい予測がいくつも列挙される中にありました。
「世界はもっともっと暴力的にむきだされていくだろう。」
「すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者はたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。」
「ひじょうに大きな原発事故があるだろう。」
ここにあるのは、居丈高な予言ではありません。
あくまでも、もはやぎりぎり予感し、また伝えざるを得ないヴィジョンとして
記されているのです。
辺見さんは恐らくこれらの出来事を幻視をしたのではないでしょうか。
けれどそれは、決して超能力があるとかいうようなことではないはず。
もはや今回のような大惨事ほどのものは、
つねひごろから知覚を研ぎ澄ましていれば、
イキモノとしての人間の誰しもが予感しえたものではないでしょうか。
けれど誰しもが予感することができたのに、感じ取ろうとしなかった、
目をふさぎ、耳を覆い続けていたのではないでしょうか。
だからこそ言葉以前のヴィジョンから、生みだされるようなすぐれた詩もまた
存在をやめていたのです。
「直腸熱三十九度の闇は、昨夏すでに、階級間の矛盾が今後さらに拡大するだろうあきらかな徴として、貧しい老人Aの下腹部から世界に放射状にひろがっていたのだった。それに心づく者、感じる者は、けれどもすくなかった。怖いから感じるのをやめたのだ。」
怖いから感じるのをやめた。しかしその結果がこの最大の恐怖です。
この引用箇所に、次の中原中也の「祈り」(「羊の歌」)を付け加えたいと思います。
死の時には私が仰向かんことを!
この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
あゝ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!