#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

野樹かずみ『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』(洪水企画)

野樹かずみさんの新しい歌集が出ました!Image1172
『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』(洪水企画)

まだ一読したばかりですが、すごく気分が安らいだ気がする
生きる奥底から一気にうたわれた歌ばかりだから。
どんな歌にも、(もちろん推敲は十分されているんだろうけれど)ためらわない、というつよさを感じます。

以下、メモ書きをつなげたようなものですが、今の段階で感じたこと。

短歌も詩も「うたう」ことにおいては一つだ、とあらためて思いました。
うたうは、「打つ」。心を「打つ」。世界を「打つ」。そして孤独の奥底から「訴える」。
自分を見つめつつ、他者や社会や行き方来し方、そして宇宙にまでも、内奥へ内奥へと「打ちにいく」もの。
それが短歌や詩だということ。

そう、この歌集には「打ってくる」声が聞こえてくるのです。
それは作者の声だけじゃない。
作者が出会ってきた多くの死者生者の声がおりまざっている声。
共に苦しむにんげんたちの声。

(なぜわたしでおわりにしないかしないならわたしのくるしみはなんのためか)

このひらがなの音のつらなりの一つ一つを
私は訴える小石として胸の辺りで責め立てられるように目と耳で追っていきます。
どんな被爆地でも戦地でも、いえ今このときの空気にも、
目にみえないこの音がきっとみちているにちがいないのです。

他者の台詞を、ざわめきのように巧みに取り込んでいると思いました。

「足もとから地面が消えてゆく気がした朝鮮人だと思い出したら」
(そのあとにある歌「ころびそうになりながら歩く生まれたての花嫁生まれたての植民地」とのコンビニーションがいい)

というようにまるごとの引用も含めて。

この歌集の主体は「私」というより
一人旅した韓国、光州事件尹東柱、李箱、朝鮮学校、故郷、パレスチナ、在日朝鮮人被爆者、ヴェイユ、フィリピンのゴミ山にみちている音や声なのだと思いました。

台詞のない正統派的な作品も好きです。「空」のイメージがいいと思います。

異国母国超えてはばたく鳥でしょうふたつの言語を両翼として

地下道から四角い空を見上げればわれをひきあげる腕の まぼろし

三界の重い夜空に鍵穴を抜けた光のような星たち

これらの空は路地をみつめ、人間の悲喜劇をまなざし、ものをいうことのない大きな孤独の深さそのものです。

さらに鋭い自己省察や社会への批評意識についても、技法とあわせて語らなくてはいけないのですが・・・。今後折々に思いついたことをアップしたいと思います。

何はともあれ、野樹さん、おめでとうございます!