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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

新鹿(一)

今ずっと、新鹿の「開墾地」に辿り着くまでの旅を書いています。参考までに詩集『新鹿』所収の「新鹿(一)」をアップします。21日の熊野市立図書館の会でも、朗読する予定です。詩の主体として私は、このように旅の時間を「虚構化」しました。

新鹿(一)──世界はいつまでもギリシア悲劇を上演している

                                                        
夕刻へ萎えていく時とかすかに擦れあい 
木々の腹が仄赧く過ぎていく
あたしか、みずからの声なき声にみちびかれ
新鹿、まだ見ぬ聖なる故郷を信じて
国道311号線からの
ささやかなディアスポラ
また次の一瞬ひらかれる大いなる錯誤に
私たちは身を任せていく
(この道でいいのか あまりに内なる声に従ってはいないか)
車は海から山へ走りつづけている
橙色にふくらむ樹皮のエンタシス
光っては翳る葉の秘密の内破、
木々にふれいそぐ日、日
今を、このいまのいまを忘れない──
深い弦の響きのごとき思いが私たちの真芯をうがつ
生の旋律はちがっても
魂はこうして 交わす言葉もうつろに ゆれゆられ ふれあうことができる
峠の途次 また対向車と道をゆずりあい 手をあげる
花粉症のマスク越し
ガラスの反射ごし
人はそうして新鮮に懐かしく 出会い別れることができる

もうはるかに来たのに
海の力はここまで及んでいる
(トンネルを行きすぎてしまった)
海の彼方から見つめられている 空から俯瞰されている
どんなに分け入っても 熊野という「すべて」は
もっともっと隠らせていく
(名を覚えなかった小学校で尋ねトンネルを戻っていく)
探しているのは新鹿
その人が蘇ろうとした 土と人のための密やかな祝祭の劇場
そこにその人がいるはずもないが
その人がいたという事実も幻のようだが
私たちはいつからか
このいまのいまの 静かすぎる木々の空気を予感していた
透明なあかるい子宮の底のようなこの場所を

            *

父よ 詩のごとき父の父よ 
消える一瞬 ふくらむ日が 未来の赤色巨星となるのを
私たちは見た!
誰かの代わりにしかと見た!
ひらかれていく錯誤は 痛みである
詩の内皮がほろほろとはがれ 古代の真白き悲しみ、「この私」が痛い
薄闇が木々にふれいそぐ 
木々が薄闇をよんでいく
白さを隠すため
世界の恥ずかしい無垢をつくろうため

      *

白い木造の新鹿小学校は 時の灰色の髪をなびかせていた
桜も三十年前と同じだろう 花弁は薄闇を受け入れる怒りに色を沈め
窓から覗く誰もいない複式学級の教室の 机の上にきちんと積まれた教科書は
ガラスに反射する空の中で 沈没船の宝のごとくつめたくはなやいでいる
帰れソレントへ」がスピーカーから割れて流れはじめた午後五時
ふたたび 帰れない場所へ帰ろうとする干し魚の衝動で 車に乗る

*注:「世界はいつまでもギリシア悲劇を上演している」(「新鹿(一)」は詩「歌声は血を吐いて」から。