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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『環』(藤原書店)55号に「詩獣たち」第12回「危機をおしかえす花―石原吉郎」を書いています

『環』(藤原書店)55号に

「詩獣たち」第12回「危機をおしかえす花―石原吉郎

を書いています

戦後約八年間シベリヤに抑留され

その苛酷な期間を「事実上の失語状態」の中で生きのびた石原。

帰国後、詩と散文を書くことで極限体験と向き合っていきます。

「生き生きと危機に膚接」する張りつめた繊細さを持つその言葉は、

人間にとって言葉とは何か、あるいは言葉にとって人間とは何かという問いかけを、

魂の内奥から突きつけてきます。

日常の次元から根源的な次元へ

読む者を立ち返らせるその言葉は、

どのような体験と思いによって生まれてきたのか。

なぜ帰国後はまず詩のみを書き続け、

ラーゲリでの体験を散文で告白するためには十五年もの歳月が必要だったのか。

そして戦後民主主義下の祖国で

なぜ「「私は告発しない。ただ自分の〈位置〉に立つ」」

という態度をとり続けたのか。

その〈位置〉とはどのような場所だったか。

そのようなことを私なりに探りながら書きました。

私が石原吉郎の詩に初めて触れたのは

1980年代半ば。

身近な詩人が心酔していたので、その影響もありました。

しかしその時は「葬式列車」などのシュールレアリスティックなイメージを

「面白い」と思って楽しんだだけだったのだと思います。

一方、ラーゲリの苛酷な体験を魂の体験そのものとして生き直したエッセイは

そこにある言葉に触れる以前に

煙幕のようにたちこめてくる歴史のリアルな闇の匂いに臆して

まるごとはとても理解できない気がしたのを覚えています。

しかし今は分かります。

その詩の美しさが、「膨大な死者の重量」のまえには花のように無力である、という真実から

生まれていることを。

そして今もまた

花のかたちのまま「位置」で危機をおしかえし

私たちに突きつけてくることを。

いま現在の、詩と世界に対する私の思いもこめて書きました。

読んでいただければさいわいです。

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