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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「こるむ」第9号掲載エッセイ:「裁判を傍聴しながら考え続けていること──透明な怪物、可能性、現実化・・・」

「こるむ」(在特会らによる朝鮮学校襲撃事件裁判を支援する会通信)第9号掲載エッセイ
裁判を傍聴しながら考え続けていること──透明な怪物、可能性、現実化・・・ Koromu
                                                                        河津聖恵

 私が初めて京都朝鮮第一初級学校に対する襲撃事件を知ったのは、2009年12月。同志社大学で行われた、在朝被爆者についてのドキュメンタリー『ヒロシマピョンヤン』の上映終了後に、事件のDVDを見た。私は大きな衝撃を受けた。人間として最もやってはならない所業、最もあってはならない人間の姿がそこに臆面もなくさらけ出されていた。私はこれまで感じたことのない戦慄を身の内に覚えた。オモニ会の方の涙ながらの訴えから、事件が当事者に途方もない恐怖感を負わせていると知ったが、映像を見ている間ずっと、私は私自身もまた、画面のかれらによって攻撃されていると感じていた。たった五分の映像を間接的に見ただけでそうした動物的恐怖を感じたのだから、現場にいた子どもたちや関係者にはどれほどの衝撃だったか。会場から出るとキャンパスはすでに夜の闇に包まれ、庭はキャンドルによる光のアートが美しく輝いていた。だがクリスマスの美しさは、直前に見た醜悪な映像の記憶をむしろ引き立て、吐き気をもたらした。
 その時私は、この日本の見えない片隅で、大変な事態が起きていると知らされたのである(その「事態」はやがて朝鮮学校の高校無償化除外によってさらに可視化される)。在特会による前代未聞の襲撃事件が象徴するのは、この国で今、精神的に未熟な人間の心に途方もない破綻が生じ、それが同じ脆弱な者の精神構造に次々と伝播し、総体としての人間のモラルにとめどなく危険な亀裂が拡がっている、という事実である。
 社会的に居場所を定めることを放棄した人間が、「誰だか分からない自分」の怒りを紛らわすために、それを他者にぶつけ、他者をいじめる快楽に酔いしれる。さらには他者いじめの行為において自己承認願望さえをも満たす。恐るべき非人間的な罪業だ。そうした悪魔はこれまでも存在しただろう。しかし戦後このようにあからさまに、自閉的な集団として存在し、メンバーが互いを承認するために他者を攻撃し、一線を越えてヘイトクライムという犯罪へと勇み走る現象は、前代未聞である。
 先日テレビで知ったが、人間の脳には他人の痛みに不快感を感じる部位と、集団のルールに従わない他人が罰せられる姿に快感を覚える部位があると言う。人類が大集団として生きるために備わった仕組みだそうだが、今、その二つのバランスが壊れ、後者が優位となり異なる他人に対し不寛容になりやすくなって、ヘイトクライムや戦争を引き起こしているのではないか。もちろん起こっていることのすべてを、脳に起因すると考えるのは危険だ。だが幼時からゲームにふけったり、受験戦争で勝つことだけを人生の目的としたり、ネットで匿名での誹謗中傷をし続ければ、おのずと他者の痛みに対し不快感より快感を覚えやすくなるのは確かだ。そして今や、周囲や世間がそれを煽っている。
 在特会の若者たちの背後には、かれらを怪物に作り上げた無数の人々がいる。マスコミも含め、かれらに人間としてのモラルを反する言葉を、直接的あるいは間接的に伝えた人々、あるいは人間としてのモラルを伝えられなかった家族や教師を始めとする人々、そしてかれらの怪物としての言動を黙認した友人知人もまた、いわば「透明な怪物」としてこの犯罪に加担する。そう私もまたその一人なのだ。在特会の若者たちの分身に、これまで出会わなかったはずがない。どこかで出会い、一瞥してやり過ごし、忘れてきたのである。関わり合いになりたくないから眼をそらしてきた。中学生の時、一人の男子に対し数人の男子が行った壮絶ないじめを、ぼんやり眺めていた自分を思い出す。
 在特会が生まれる条件は、この国に十二分に存在する。だがなぜ現実のものとなったのか。朝鮮学校に対する高校無償化からの除外に反対する活動をしつつも、私が根本において考えているのはこの問題だ。なぜ、「在特会的なもの」は在特会として現実化し、今や被告となってわれわれの前に立ち現れたのか。可能性と現実性の間にある深淵を、なぜ飛び越えたか。その答えを見つけるために、これからも裁判を傍聴し、自分の生理に響いた事実をしっかり受け止め、そこから?みえた真実を自分の言葉で語り、広く伝えていかなくては、と思っている。