*許玉汝さんの詩への返歌として
友だち
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている(吉野弘「生命は」)
河津聖恵
あなたはいつから
私を呼んでいたのだろう
風は花粉の匂いをたしかに運んでいた
海は遠くで輝きをましつづけていた
私は呼ばれていたのか
それとも 私が呼んでいたのか
蕾のように長い時をかけ
お互いにむかってうごきつづけていた
「欠如」がたしかにあったのだ
*
あの日 ためらいをすて
ハッキョへの坂をのぼろうと決めたとき
雪解け水のような春の光が
きらきら鳥のさえずりを映し
坂をのぼる私にふりそそいだ とき
過去からおりてくるオンニたちや
未来へとのぼるヨドンセンたち
の息づかいと心の高なりが
ゆっくり胸にかさなってきた とき
透明な空気のふくらみのように もう
あなたは共にいてくれたのだ
それとも もっと、もっとはるかな時に?
*
三月のいつだったか
当面の除外が決定されて間もない
眩暈のような永遠の日
私は一人だったのに
もうひとりではなかった
右手には
遠い南のくにの「思いやりの学校」の
クリアファイル百枚がずしりと重く
(その日 この国の品はどれも
生徒たちへの贈り物にはふさわしくないニセモノだった)
かざした左手にも 光はけっして軽くなかったけれど
つらいまぶしさは
もう ひとりではない 不思議な予感だった
クリアファイルに描かれた
ゴミ山で生きる子どもたちのクレヨン画
花や虫や果実やひとの笑顔
その未来の重みが掌を明るませ
子どものような勇気が
身の内にしずかに湧いた
風のような何かに 背中を押された
やがて誰もいない校庭の方から
頬はかすかなざわめきにくすぐられて
*
「朝鮮学校無償化除外反対!」
この国でそう声にすることは
かぎりない孤独と不信と
熱い連帯のはざまで引き裂かれることを意味すると
初めて知ったのだけれど
真実の痛みが降りてきたからこそ
ほんものの出会いが熱くたちのぼってきた
あらたな透明な時が とくとく空へ飽和して
初めて会う約束の刻 鶴橋駅で
まっすぐ前へはりつめていたまなざしを忘れない
遥かな時の中から
あなたは私を見つけてくれた
遥かな時を経て
私はあなたを見つめはじめた
花と虻のように 虻と花のように
かつてはぐれたほんとうの友だちとして