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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

日本の臍辺りで思ったこと

日本の臍辺りでの三日間は例年通り穏やかなものでした。Image1331

美しい新緑の山々に囲まれた農村の、多くは年老いた人々の暮らしは相変わらずつましく、靜かで、時折、あちこちに犬や鳥の声がきこえ、ほんの時たま、路地に入り込んできたバイクの音が懐かしいように響くだけです。

正月以来、四ヶ月ぶりに義父母と過ごしました。

昨年から体が不自由になり、介護サービスも利用し始めた義母は、冬はかなり体調が悪く、顔を見た一瞬、その冬の苛酷さを見せつけるような、ひどくやつれた表情をかいま見て、言葉を失いました。しかし不思議なことに、喋り始め、笑い出すと、乾いた物が水を含んで元に戻るように、義母の顔はふくらみ、やや小さくなった感がありながらも、いつもの屈託のない明るい顔つきに戻っていきました。

息子や娘や嫁に、矢継ぎ早に話しかける義母や、無口だけれどうれしそうな顔で聞いている義父の様子を見て、ふと年老いた人々の冬の孤独を、冬との孤独な戦いに想いを馳せました。

この村の老人たちは、多くはお百姓として汗を流し、生き、子供を育て、村の外に送り出し、今そのしごくまっとうな生を、出来れば誰にも迷惑もかけず、ひっそりと終えようとしている。義父母を見ても、人として何の非もありません。さして贅沢をしたわけでも、人に恨まれることもしたわけでもなく、小さな喜びや楽しみを大切にして、悲しみや怒りは出来るだけ押し隠し、弱い自分の生と弱い自分の子供たちを守ってきたのだと思います。自分を犠牲にして他人を救うという強さに欠けていたことを、非難することは(例えばその村に戦時中いた朝鮮人労働者の話を彼らが避けようとはしていても)、私にはやはり出来ません。

何が間違っていたのだろう、と平和な村の、小さな家の縁側で、空をみやりながら思いました。テレビの音が何十年も前と同じように笑っていました。しかしこのような人々の、このような家の風景が、戦後、無数に続いてきて、その何でもない時間の飽和として、あの原発が爆発したのだということは、紛れもない事実なのです。そこに因果関係を見出しうるのは神の眼しかないのでしょうか。