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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

倉田昌紀さんが明日退院します

明日午後、倉田昌紀さんが退院し、紀州に帰ります。Dsc00015
今日入院先の大阪成人病センターに、最後のお見舞いに行ってきました。
4月初めに十時間の手術を受けてから、術後の薬剤投与も先週無事終えて
食事も少しずつ摂れるようになり、今は歩行のトレーニングをしながら
消化器官の調子を整えています。
昨年11月末入院してから、もう6ヶ月以上になりました。
紀州をこよなく愛する人が、
窓からビルや高速道路しか見えない大都会の真ん中の病院で長期入院など大丈夫だろうかと最初は心配したのですが、
ご自身の心と体を冷静に見つめられ、本当によく耐えられたと思います。

今日は私の詩集『龍神』の話を中心に
短い間に話がたくさん出来た気がします。
明日から退院という気持があったせいか
倉田さんの声や笑顔がなんだかとても懐かしく感じられました。
紀州や詩や中上健次についての話も、
同じように懐かしい二人の故郷について話すかのようでした。

朝鮮高校無償化除外の問題に関わるようになってから
ふと中上健次ルポルタージュ紀州』を再読すると
言葉の一つ一つが輝く草のようにいきづいて感じられるのに
私は驚いているのですが、
そのことを倉田さんに言うと
中上さんが政治を取っ払ったところで、
差別をも含め紀州・熊野をいきづかせようとした、そして
共同体の可能性としての紀州・熊野を表現として与え残してくれた。
それをどのように今に生かすかは私たち次第なのだ、
というようなことを言われ
なるほど倉田さんの視点は鋭いなあとあらためて感じ入りました。
まだ体力がついていないので疲れていたはずですが
いつものように一生懸命答えてくれるのに
胸がつかれました。

思い返せば『新鹿』も『龍神』も
倉田さんがしっかり伴走してくれたからこそ
紀州・熊野との関係性から
草や木のざわめきのように生成した詩集でした。
いつも紀州を旅する時には、
倉田さんが旅行先についての資料を
前もって送ってくれました。
それはただの観光案内書などではなく
生きた人々の言葉や人生を伝えるもの
あるいは生活者のための詳しい地図などでした。
そんな事前の準備があったからこそ風景も出来事も歴史も生きたものとして
自分の内側から感じ取ることが出来たのでした。
そんな詩の予感の「前夜」も
懐かしくも新鮮に思い出されます。

「ここからまた新たな蘇生の海へ出発しましょう」
別れ際に倉田さんはそう笑顔で言いました。
誰よりも先に送った『龍神』の扉に私が記した倉田さんへのエールでした。
それを私に贈り返してくれたのでした。

明日紀州・熊野はいきづきざわめいているでしょう。
光と影を未知の生のように煌めかせ
より深く優しく
病癒えていく人をふたたび母のように包むはずです。