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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

10月16日付京都新聞朝刊・詩歌の本棚/新刊評

 八月下旬、中国・延辺朝鮮族自治州にある明東(ミョンドン)村を訪れた。同村は詩人尹東柱(ユン・ドンヂュ)の故郷。一九一七年生まれの東柱は、大学へ進むために日本へ渡航したが、四三年京都でハングルで綴った詩を証拠物件として逮捕され、四五年解放直前に福岡で獄死した。同志社大学京都造形芸術大学には詩「序詩」が刻まれた詩碑が立つ。「死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。」(伊吹郷訳、部分)彼の詩にある「空」や「風」や「星」等は、歴史の暴力による苦痛と流浪の悲しみのメタファーだが、いまだそれらが多くの人の心を打つのは、その底に「原風景」がいきづいているからだ。今回の旅ではその風景を確かに見た。壺中天のように美しく素朴な村、秋桜の揺れる田舎道、澄んだ虫の音、丘を慈しみ触れるかのような天の青。東柱の詩の世界そのものを体験した。
 清岳こう『春 みちのく』(思潮社)は、震災直後に書かれた前作『マグニチュード9?0』に続く「震災詩集」。悲劇の記憶がどこか風化しつつある今、被災地では人の心の中で傷はむしろ拡がりだしている。意識無意識に震災の「原風景」は生々しく実在し、ふとした刺激で蘇るのだ。教師でもある作者は日々子供たちを見つめながら、一人一人の内部に拡がる「原風景」に立ち会おうとする。その風景を想像によって描き出すのでなく、いまだ癒えない心のありかとして、そこにただ寄り添っていく。
「大丈夫か? 生きているぞ!/ヘリコプター 救急車 看護師が次々に押しよせ/何日間もあきらめず さすがだと言われ/フラッシュ! フラッシュ! フラッシュ!/今の気持ちは?今の気持ちは?が次々押しよせ/よくがんばったと言われ 英雄的だと言われ//海辺をぶらぶらした 生まれたてのかまきりを見つけた/誰にも会いたくなかった 雪虫が飛びはじめた/ラケットも振れずボールも追えない 花あぶが耳元をかすめた/体のふるえは止まらない 爪先は凍ったままで//とりあえず/校門から教室までは歩ける」(「復学」部分)
 笹田満由『凱歌』(書肆山田)は、見開きに収まる短詩を集めた「掌篇詩集」。どの詩も寡黙だが、不思議なことにここにも、頁の余白から立ち上がってくる豊かな「原風景」が存在する。それは詩の言葉が主のない祈りとして響く不可視の聖堂の内部でもあり、今はそこにいない作者が、生き難い世界から逃れ来て、火を灯すように発語した闇の胎内でもある。
「暖炉の火も/もうじき消え/今日がまたこうして終わる//火は揺らめく/消えまいとして//…みんな、みんな差し上げます/もし//明日がすべて/救われるというのならば」(「浄火」全文)「炎が/肉を舐め尽くし/われらを//透き通らせるとき/いつも決まって/ここから//神が/泣きながら/誕生する」(「雨」全文)「マッチの火に/飛び込んだ少女を/雪はやさしく包んだ//自然は美しい/だから朝になると/澄んだ瞳は//弧を描きながら/他人の空を/流れた」(「蒼穹」全文)
 尾崎まこと『断崖、あるいは岬、そして地層』(竹林館)は生きることの根源にある「原風景」を、模索しつつうたう。
「虚空に差し出された美しい断崖/あるいは一つの岬であるとも考えられるあなたの膝/その上に添えられた手にこの手を重ねると/間を伝わる熱によって/私たちもまた/降り注ぐ時間の地層であることが/知らされるのだ」(表題作全文)