#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

辺見庸「瓦礫の中から言葉を」を見て(三)

甚大な被害を受けた石巻、そして三陸の沿岸都市には、
気配、兆しというものが常に孕んでいたし、充ちていたに違いないと思うんです。

私たちに、この破滅に対する予感はなかったのでしょうか。
詩人というカナリヤたちは
言葉によって生きるホモ・ロクエンスたちは
予感しなかったでしょうか。
言葉を破壊する、非言語、反言語的な事態の到来を。
これは何の予感もなしに起こったことなのでしょうか。

そうではない、と思います。
辺見さんが言うように、兆しはきこえない潮騒のように満ちていたのに
人は聴き取ることが出来なかった。
いえ、聴き取ろうともしなかった。
私たちは私たちを言葉ではないものから隔離し、
言葉にならないものを排除してきたわけです。

世界を分断する言葉、他者を切り捨てる言葉がこの世を覆い尽くしていました。
非科学的なことをいうようですが
そのような言葉にならないものへの畏れのなさと
畏れるための言葉へのとめどもない嘲笑が
この事態の深い背景の闇にはたしかにうごめいています。
それが原因であるというように因果関係では決して説明できないとしても。

決して、水の仕業とは思えない。
津波が。もっと金属的な、ひどく重いものが一気に押し寄せて来る、突進して来る。
鉄とかコンクリートとか、そういうどでかいものが、爆弾を受けたみたいに。

破弾すると言うか、そうすると容易に想像がつくと思う、
人間の身体がどうなるのか。
一発で捻じ切れてしまうわけだ。
それは、僕の友人はそういう大袈裟なことは言わない人間だけれども、
地獄だと言っていた。

テレビの映像は、いつの間にか、凄いんだけれど事態が希釈されている。
私が友人から送ってもらった写真で見ている映像と違う。
例えば、車が何台も折り重なって、中に人がいるまま黒焦げになって、
私のいた小学校が焼け爛れている。
その絶大な風景をあらわす言葉がない。ただ慟哭するしかない。ただ泣き叫ぶしかない。

あの時、無数の人間の体が捻じ切れたことで、
今言葉もまた捻じ切れていくのだと思います。
私たちは今これまでの言語の次元に
途方もない負荷がかけられているはずです。
あの黒い大津波が人にも動物にもたらしだした変動が
すべての魂を闇の方へとおしもどしていくところではないでしょうか。
そしてねじ切られ、押し戻されていかなくてはなりません。