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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『現代詩手帖』10月号(思潮社)に「花よ、蛇の口から光を奪へ!―立原道造生誕百年」を書いています

現代詩手帖』10月号(思潮社)に

「花よ、蛇の口から光を奪へ!―立原道造生誕百年」を書いています。

今年は立原道造の生誕百年であり、今号はそれを記念する特集号となっています。

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立原道造とはいかなる詩人だったでしょうか。

1914年7月30日

東京市日本橋区橘町(現・中央区日本橋)に生まれました。

十歳の頃から詩作を始め、

口語短歌を経て、東京帝国大学工学部建築学科二年からソネットを作り始めます。

堀辰雄に師事し、

第二次『四季』に創刊から参加します。

また建築家としても将来を嘱望され

大学在学中に辰野賞を三度も連続受賞しています。

詩集に『萱草に寄す』『曉と夕の詩』など。

物語、パステル画、スケッチ、建築設計図も残しました。

39年3月29日、結核のため死去。

享年24歳。

私も以上のようなことならば大まかには知っていましたが、

詳しく調べてみたのは

季刊誌『環』(藤原書店)で四年前から続けている連載「詩獣たち」で

この詩人を取り上げたことがきっかけでした。

論を書く過程で書簡集を読み、

そこにあふれる詩への真率な思いに大変驚かされました。

そして思いを極限まで表現しようとする言葉のゆたかさと美しさに、

ふるえるほど触発されました。

その一行から一篇の詩を書いたこともありました。

とりわけ死の前年、1938年に綴られた手紙は

病による死を前にし

戦争へ向かってひらいた「蛇の口」の闇をまのあたりにして立ちすくみながら

つねに新たな詩と生へ「出発」しようとした

一人の人間の魂のすぐれたたたかいの記録です。

詩人は今もそこから

》蛇の口から光を奪へ!《と私たちに向かって叫んでいる。

特定秘密保護法や集団的自衛権を迫る蛇の口にも

花であることによってあらがえ、とまなざしている。

一般には、軽井沢の草むらでうたう抒情詩人であり、かつ

シティーボーイであるというイメージがありますね。

それはある面で真実です。

しかし晩年の詩人はそうした「美しいいつはりの花」をみずから手折り、

新たな詩と生を必死で模索していきます。

しかし書簡集にあるはりつめた、いつはりのない散文の美しさが

詩に結晶化する時間は与えられず

詩人は天へ引き揚げられていきました。

『日本浪曼派』やその背後にある軍国主義との関係をきらって

立原の晩年についての考察はあまりされてこなかったようです。

しかし今号は他の論考にも晩年に触れているものが多く、救われました。。

百歳を起点に、

新たな戦争の足音を聴取しつつ

詩人の晩年と私たちの現在からの逆光によって

詩人と私たちの思いが同時に照らし出されていくような

そんな立原道造の「読み方」をしていきたいものです。

「僕が詩人でありたいとねがふ日に 僕は詩人だと信じます いかなる意味ででも この志向が決める世界こそ詩人の場所だと信じます 戦ひは勝つためにではなかつた日はまだ過ぎ去らない 僕はその場所で詩人でなしに死ぬ日にさえ 詩人であつたと信じ得ます」(三七年四月一日神保光太郎宛書簡)