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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩「影」


                               河津聖恵

瓦礫をふみわける音がする
ふかくくろく
こんもりとした影たちが瓦礫を這っている
テレビの画面か それとも
覚めきった夢だろうか
劇しい夢の水が退いたあと
光と影だけが残されたこの世の果てか 

瓦礫の上で
影は音を脱ごうとひそやかに身をよじる
音はたしかに
生きている証だが
影は生きることを憎むかのように
みずからの音を拒み
実体をふりすてようと
うごきつづけるのだ 

背を見せたきり
永遠にふりむくことのないひとに
声をかければ
雪のように溶けていきそうだ
残酷なほど青い空につづこうと
言葉は千年昔の雲のように
くずおれるだろう
もう神話のひとであるひとに
語りかけるには
きっと神話の言葉がいる
しかし誰もが思い出すことが出来ず
遠巻きにしりぞいていく
この世ならぬ瓦礫の沈黙の深さだけが
影を撫ぜ
非在の悲しみを抱きとめている
誰にもきこえない慟哭を
水のように受け入れるのは
影の世界だ

そのとき時間がふるえ
音が蘇り始めた
踏みしめる爪先に吸われるように 
ふいにそのひとはしゃがみ込む
やっと影はただの影となり
濃くちぢかまる
大きなリュックがかすかに揺れる
顔が見えないひとは
さらに身を乗り出していく
何を見つけたのか
あるいはそのひと自身が見つけられたのか
恐ろしい深淵に あるいは
宝石のような何かに──
しかし誰もがたしかめることが出来ず
遠巻きにしりぞいていく
希望も絶望も どんな言葉も
そこに回り込めないから
そのひとは今 眼の前にただあるものと
ふたりきりだ
誰でもない者と言葉のない言葉を交わし合う
死にゆく孤独な時のように あるいは
生まれてきたあの
苦痛の時のように──
大きなリュックに
みえない雪をふりつもらせ
雪をときおり 
悲しみのように 救いのようにこぼれおとし