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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

痛みを知る者は、他者の痛みにも

ブログを立ち上げて一年が過ぎました。
早いものだなあと思いつつも、
読み返してみると何と色々な出来事があったことか、と感慨をおぼえます。
ブログを始めてから
これまでの人生になかったほど時間が濃厚になった気がします。
伝えるべきものを探すセンサーが
私のつねにどこかで働くようになって
現実に対する意識や感覚が今まで以上にアクティヴになったのでしょうか。

また、ブログを介し驚くほど多くの人とも知り合いました。
住んでいる地域も生きてきた経歴の違いも年齢も性別も飛び越え
ただ共感さえあれば一瞬にして人と人をつなぐネットの力
には感謝しています。

さて、ネットで知り合った人の中で
最も遠方に住んでいるのは、アメリカ在住のMさん。
もう渡米なさって二十年位になるのでしょうか。
いつもご自身の感性でとらえたアメリカの現在を書き送ってくれます。

今回の朝鮮学校無償化除外問題についても
Mさんはアメリカ在住者の視点から見つめつづけています。

今朝はあるブログを紹介していただきました。
社会学者・金明秀さんのブログ [what is not expressly included ](http://han.org/blog/)。です
そこに
「日系アメリカ人強制収容所問題と朝鮮学校の無償化除外問題の相似について」
という記事が掲載されています。
私もこの記事は、この問題をめぐって書かれたもののうちで
最近ではもっとも触発的な論考の一つではないかと思いました。
皆様もぜひ読んでみてください。

ところでMさんはこの記事について
次のようにメールに書かれていました。

「上記の記事の中に1980年代に日系アメリカ人が「レドレス」(謝罪と補償)運動をしたことが述べられていますが、それを始めたのは日系アメリカ 人3世の青年たちだったことを、ある本(岡部一明著『日系人強制収用から戦後補償へ』岩波ブックレット。1991年)でしりました。 彼らの両親である2世たちの多くは、強制収容所体験を子供たちに話せなかったといいます。3世の青年たちは親たちが収容された場所への旅を始め、それが親たちが話し始めるきっかけになったのではないかと思います。運動の当初は連邦議会の日系2世の議員たちは運動に消極的であったけれど、次第に変わってきたとのことです。
 今、こちらの社会で日本社会での在日朝鮮人と似たようなひどい差別にさらされているのは、2001年の9.11事件をきっかけにして、ムスリムイスラム教徒)の人たちです。9・11事件直後に始まったムスリムへの差別にたいして、いち早く抗議の声をあげたのは多くの日系アメリカ人たちでした。自分たちの経験から、ムスリムの経験を想像できたからだと思います。」

「レドレス」運動が勝利するまでの道のりには
様々な苦難と曲折があったはずですが
Mさんのメールからも
やはり過去を伝えようとしつづける努力が最も大切だったと分かります。
そして痛みを知る者は、他者の痛みにもいち早く声を上げるということも。