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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

フランコ・フラカッシ/フランチェスコ・トレント「ゼロ」

エジプトのデモ隊の衝突の行方が気になっています。Image1205
反政府系のデモ隊と政府系のデモ隊がぶつかりあう様子をテレビで見ると、本当に恐ろしいです。
そして
反政府系の中心であるムスリム団体がアルカイダとつながりがある、
もしこの人たちが中心の国家になればテロの温床になる、
ともアメリカのニュースは伝えます。

「テロ」という言葉には、私もまた反射的に体が硬直します。
いつからか「テロ」という言葉が理性を失わせる呪文となったと思います。
「テロ」を防止するなら証拠がなくても罰していい、攻撃していい──
そんな風潮が生まれ
その延長で、私たちの身体は異質なものや理解できない他者に対しImage1206
過剰防衛的な条件反射をするようになりました。

2001年9月11日はそうした「生体反応」の大きな起点となった日です。

イタリアのドキュメンタリー映画「ゼロ」を見ました。
衝撃を受けました。
私たちがメディアを通して信じ込まされてきた9.11事件のアメリカ政府公式説。
しかしそれが何の証拠もないことを、
生存者や遺族や研究者や政府関係者などの証言を通して明らかにしていきます。

世界貿易センターの清掃人が「地下で爆発音を聞いた」こと
鉄骨すら溶けたタワーで犯人のパスポートだけが無傷で見つかったこと
ビルの倒壊が爆破制御解体に酷似していること
ビルを駆け巡る小爆発が見えたこと
ペンタゴンの事故現場で機体の残骸がないこと
国防総司令官が負傷者の搬送を手伝っていること
国防省によりペンタゴンへの攻撃のシミュレーションが行われていたこと
ペンタゴンに普通の飛行機が近付けば対空ミサイルが発射されるはずであること
ビン・ラディンの顔がよく見るといくつかの映像でそれぞれ別人であること
犯人と同姓同名の人物が複数いること、犯行前に派手な行動を取っていること
などなど枚挙にいとまがありません。

いずれにしてもアメリカはこの「テロ」事件をめぐって
何かしら大きな闇を抱えているのは事実だと感じました。

最後に遺族の父親が「真実を求めない者は恥ずべきです」と言っていたのが心に突き刺さりました。

メディアに「テロ」への生体反応をうえつけられたままではならない。
「テロ」ときき精神を痙攣させるような次元にとどまってはいけない。
自分が今何におびえているのか
その影を落としているのは本当は何者なのかを
自分につねに問いかけなくてはならない
と思わせられた作品でした。