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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

6月21日ゲスト講義in横浜市立大学(一)

一昨日6月21日、
横浜市立大学の講座「芸術と現代」で、ゲスト講義をしてきました。
タイトルは「「詩を導く土地」──『新鹿』『龍神』を中心に」。
国際総合学科を中心とした一、二年生180名を対象に行いました。

大学一、二年生というと、18、19才。
今の私からすると、生まれたばかりとしか思えないので
どんな内容にするか悩みましたが、
担当の鈴村和成さんから「文学の初心者なので、入門的な話をしてもらえたら」
と言われていたので、
自分の詩についての今の基本的な思いを話したらいいのかな、と思って
他の参考文献や詩人のことは忘れ
詩を書く自分と自分の詩に焦点をしぼって素朴に正直に話しました。

15才の時に書き始めた当初、
教科書の詩を見よう見まねで、もやもやした気持を投げかけるように書いたこと、
学習雑誌に投稿した日々のことから始めました。

それから今詩をどう思っているか。
なぜ、わざわざ普通の言葉で満足せず、詩の言葉で表現したいのか、について。

それは
自分が本当は何を考えているのか、感じているのかは、自分が常日頃意識的に使っている日常の言葉だけでは分からないから、
本当の自分の考えや思いは、恐らく言葉を超えたものだから、と。

そして、言葉の山というイメージについて話しました。
誰しも、どんなに言葉から遠ざかっている人間にも
それぞれ、それなりの言葉の経験があり、築いてきた言葉の山というものがあるはず。
自分の忘れていた言葉もそこにはあるかもしれないけれど、
言葉で生きる存在である人間は誰しも
言葉の山はそれなりに大きい。
だからそこに問いかける。

「自分は何を考えているのか」「この感動は何なのか」「この悲しみや怒りをどうしたらいいのか」。

すると、そこから思わぬ答えが、木霊のようにやってきて
それを聴取した私たちは感性や知性でチューニングして、思わぬ言葉や表現を生みだす。
それが詩の生まれる瞬間であり
詩以外でも、思わぬ表現や的確な表現は
そのように木霊を受け止めることから生まれるはずだ。
言葉の山は、各個人の読んできたり書いてきたり話してきたりした言葉の山であり
それだけでも大分大きいが
しかしそれもまた氷山の一角で
その下には、人類の言葉の山というものが埋もれている。

言葉を発明してからもう何千年、あるいはもしかしたら何万年
人が語ったり、書いたり考えたりしてきた。
そして積み重ねられた言葉の山の根は深い。
それは自分にとってはまだ隠されているけれども
自分の経験した言葉の山の下に必ずある。
そこにも、自分が問いかけた声の響きは伝わっているはずで
きっとそこからもかすかに木霊がきこえている。

みえないそれぞれの山が大きければ大きいほど
そして山への問いかけが真摯であればあるほど
かえってくる木霊はよりたしかな、新鮮な、普遍的な表現へとつながっていく。
受け止める感受性を磨けば磨くほど、聴取力を鍛えれば鍛えるほど。

そしてそれがまた言葉の山をゆたかにふくらませ──。

しかし木霊から自分が?みとる言葉は
決して難しい言葉あるいは宗教的な言葉である必要はない。
日常の言葉よりちょっと深いところの言葉を掴むことが大切である。
ちょっとだけ日常から外に出た感性あるいは音域でとらえる。
そんな言葉ならば書いていても自分が納得して前に進めるし
人にも伝わるし、何よりも日常の中で新鮮に響く。

と、以上のような話を導入にしたあとで
「日常からちょっと外に出る」ということにつなげて
実際、紀州・熊野という土地をめぐって旅をした経験と
そこから生まれた詩集『新鹿』と『龍神』について話していきました。