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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』(三・終)

この本が日本人である私が鋭く触発するのは
私にとって「裏返された」歴史や社会の姿を知ることが出来るからです。
在日朝鮮人の立場から見た日本の歴史と社会のあり方と世界感覚。
それを知ることはひりひりとした痛みがあると共に、
鏡の中に入り込むようなスリリングな経験なのです。

なぜ在日朝鮮人は日本にいるのか?
植民地支配とはどのようなものだったか?
戦争中は、そして戦後はどうなったのか?
大韓帝国臣民」→「大日本帝国臣民」→「ひきつづき日本国籍」→「外国人とみなすがまだ日本国籍」→「無国籍」→「大韓民国取得」あるいは「無国籍のまま」という人生を送るというのはいかなることか?
朝鮮籍」とはいかなるものか?
戦前は参政権を認められていたが、戦後は認められなくなったのはなぜか?
他の在日外国人との違いは何か?
特別永住者」とはいかなる存在か?
今、特別永住者は急減しているのはなぜか?
帰化」とはどのような意味合いをもった言葉か?
……

この本はこれらの問いに対して答えてくれるのはもちろん、
そこから思考のヒントをたくさん与えてくれるでしょう。
そしてこれらの問いをめぐって炙り出されてくるのは
教科書にはない日本の植民地支配の生々しい歴史です。
いわば日本人にとっては月の裏側にあったものがみえてきます。
直視するのが辛い事実も多いですが、
マジョリティにとっても国家と自分との関係を多面的にするためにも
知らなくてはならないこと、知っておきたいことばかりです。

今、日本の植民地支配を美化する人々もいます。
しかしそれはこの本を読もうと読むまいと、客観的に考えればおかしいことです。
国家の植民地に対する意図が慈愛であるわけなどないのはあたりまえです。
植民地に対してはあくまで冷徹で強欲であることは国家というものの本質であるはず。
そしてもちろんその冷徹と強欲さは
国家が不要と見た日本人に向かう可能性も十分あることを想像しなくてはなりません。
その可能性を、今回の原発事故をめぐる政府の国策遂行の盲目的な意志を見て
悟らない人がいるとしたら本当におろかなことです。

日本も加害者であるとともに被害者でもあるのだ、と主張する学生の感想文について
徐さんはこう書きます。
「しかし、もっと大きな問題だと私が思うことは、先ほどアイデンティティについて述べたように、この人が『日本』と自分を一体化してしまっていることです。被害者はこの人を非難しているのではありません。日本政府に対して、過去の日本国の行為についての謝罪と補償を求めているのです。それが、この人にとっては自分自身への非難に聞こえるようです。どうしてでしょう? この人自身も日本国によってさまざまな被害を受けることだってありえるというのに。むしろ被害者と連帯して日本政府に反省を促し、アジアの諸民族と和解して平和に共存していくことのほうが、この人にとっても幸せなのに、なぜそこまで国家と運命を共にしようとするのでしょうか?」

しかし日本人はマジョリティであるにも関わらず、
今なぜこんなにも被害者意識が強いのでしょうか。
徐さんは日本国家の衰退の意識が背景にあると見ます。
「80年代までは、日本はアジアでもっとも経済成長をとげた国だという誇りも自尊心もあったのが、中国や韓国やシンガポールやそのほかの国々の経済発展によってその立場が揺らいできたことがあります。それに加え、90年代には、元日本軍慰安婦をはじめとして、戦争の被害者たちが日本政府に対して謝罪と補償を要求する動きが起こったことがあげられます。」
確かにそういう背景があるでしょう。
同時期以降にネット右翼、そしてやがてそこから在特会も出現してきます。
もちろんそこには個々人のレベルでは内面の脆弱化も関わりますが、
その部分はマジョリティの一人一人が自分の内部を見つめて答えを出すしかありません。

この本で徐さんが日本人の子どもたちにいいたいのは
朝鮮人を差別するな」という一方的なことではありません。
「他者への想像力がなくなるということは、自分自身への想像力もなくなること」ということです。
そして次のような主張です。
「正しいと思うことが遠慮なく言える社会。個々人のかけがえのない価値が認められる社会。人間のもっている個性、資質がありのままに認められる社会。『あいつは違う』という人がいれば、『ええ、違います。それがいいのです』と答えることのできる社会。違う人どうしが違いを認め合いながらともに生きる社会。それが実現できれば、日本は在日朝鮮人にとってだけでなく、日本人自身にとっても生きやすい社会になるのです。」