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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

12月3日付京都新聞文化欄/詩歌の本棚(新刊評)

 今年は石川啄木の没後百年。短歌では多くの特集が組まれたが、現代詩では余り話題とならなかった。だが天才歌人は、十九才で処女詩集『あこがれ』を刊行した詩人でもある。この詩集の詩が書かれたのは、与謝野晶子に憧れ上京しながらも、病のために帰郷し、病床で挫折感から立ち直ろうとしていたさなかだ。蒲原有明等に影響を受けた象徴詩だが、決して古めかしくない。文語詩の新たな韻律も試みられ、「まことの我」の生きる宗教的で華麗な世界が展開する。啄木はこれらの詩を「朝から晩まで何とも知れぬ物にあこがれてゐる心持」で書いた。「まことの我」が生きる「まことの世界」へのあこがれ。だが百年後の今も、それは、詩人を詩へと突き動かす新鮮な原動力ではないか。
 
 齋藤恵美子『集光点』(思潮社)にあるのも、人間の原郷への静かで陰翳深い「あこがれ」である。この詩集の主体は、異郷を旅する「私」、正確には日本語から離れ、むき出しの音やリズムへ晒される聴覚である。それは「記憶もないのに」「淡い郷愁を感じ」る風景に、詩の発生を聴き取る。言語が原初のざわめきに還る異国で、「私は、『まだ始まっていない』」という「淋しいのか/懐かしいのか」分からない「あこがれ」に駆られ、人と世界、人と人の関係が「びっしょりと濡れて」いた「起源」へと向かうのだ。
セグロカモメが/薄墨色の空へ 弧線を描きながら/遠目には たった一つの/光に見える窓をよぎり/私の知らない郷愁を伴なった 小さな惑乱を/連れてくるのを 眺めていた//私はどこか よその土地に移りそこねた者として ここに居る/あるいはすでに/遠い過去にどこからか移り終え/母国語の音へ 密かに/耳をひらく者として//年取って、住むとこなくて、独りだったら家に来なよ/透き通った日本語が 聴かれて/風景が濡れてくる」(「フェイジョアーダ」)

 田中昌雄『ユウ』(編集工房ノア)にあるのは、人類の歴史の終わりに立つ「ぼくら」あるいは「わたし」という仮構の主体の、宇宙的原初への「あこがれ」。3.11以前も主体は絶望に喘いでいた。「わたしは引込み線をかしぎながら/活性酸素のあぶく吐き出し、(もっと光を!)/明けない白夜を再生させたい!/「ほら、はるか銀河のかなたから、D51が還ってくるよ」/「太陽に、六度目の臍帯血を!」(「(もっと光を!)」)だが原初がむき出された3.11後、「あこがれ」は「鬱状態」の重圧に試されている。「そして、四方八方、原初をすべる巨大大陸((パンゲア!))のかけらが押し寄せて/数十億のたぎる異人(まれびと)を乗せたまま、わたしたちの島曲(しまわ)になだれ込みます/(海にあぶれたわたしたちの瓦礫(ジヤンク)と引き換えに…)//自転を狂わせたわたしたちのなりわいは/いま、内からも外からも、統御できないカタストロフを吸い集め、/わたしたちは鬱(ビジー)状態です」(「秋の断簡」)
 
 江口節『オルガン』(編集工房ノア)は、次男の突然の死が「わたしの裡(うち)に居場所を得て/夢のかたちを生き」始める迄の、魂の軌跡である。詩集前半は個人的な喪失感を痛切にうたうレクイエムだが、3.11後に書かれた後半では、喪失感が、全死者と共に生きたいという共生への「あこがれ」へ、感動的に転調していく。
「ダーヴァール/ふたたびの春/地を鎮め海を向き 花はどれほど咲いているか/あのひとの瞳に 咲いた花は映っているか//ダーヴァール/あなたたちの春をみつめる/よこたわる骸は どうか/生者の背を支えていますように」(「ダーヴァール」)