胸に小さな光がともるようなメールが来ました。
名古屋の詩人からの久しぶりのたよりでした。
先週、繁華街で初めて、朝鮮学校無償化適用をもとめるためにビラ配りをした、と知らせてくれました。
朝鮮高校の生徒や無償化実現をめざす活動をする人々と共に、道行く市民に訴えられたとのこと。
良い反応をしめしてくれたりする人もあれば、無関心で通り過ぎていく人もいた、と。
メールには書いていませんでしたが、もしかしたら冷たい反応をする人もいたかもしれません。
小さなさりげない報告でしたが、それだけに私の胸を打つものがありました。
この詩人は恐らく『アンソロジー』に参加することをきっかけに、初めて朝鮮学校の存在を意識し、無償化除外問題をくわしく知ったのだと思います。
長い間、お互いに詩作品を読んだり読んでもらったりしてきたのですが、お会いしたことはない人です。
ビラ配りは、実際、やってみるとかなりの心労をともなうものです。私も初めて街頭に立ち、雑踏をまえにした瞬間、足がふるえました。
この人の詩に私がずっと感じてきた、蜜蜂と花がひきあうような、優しく柔らかな世界や自己との交感を想います。 あの詩風のままに、自分の感受性に耳をすませて、やがてこの問題に関わろうと決意してくれたのだな、とじんときました。
ときとして、かたくなな世間の無理解は、まる岩壁のようにも思えますが、
また一人、そしてまたひとりと、岩にしずくが落ちるように少しずつ、すこしずつ波動がひろがっているのを実感し、たしかな希望を感じます。