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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

7月10日「石巻復興ウォーキング」(二)

石巻漁港で昨日、震災後初めて水揚げが再開されたというニュースを聞きました。
水産加工などの復旧はまだまだでしょうが、
彼地で止まっていた時間が、張りのある競りの声をかけられて
新鮮な魚のように動きだしたようで、嬉しい気持になりました。

さて、復興ウォーキングに戻ります。

門脇・南浜地区には、瓦礫の海が拡がっていました。103
3.11で止まったまま無惨に座礁した時間の姿が
炎天下にさらされていました。

もちろん、あれからすでに4ヶ月が経ち、瓦礫もある程度は撤去され
もはや被災直後の生々しい地獄絵図という感じはありません。
どこか、広大なレクイエムの磁場のような印象さえありました。                          まるで死者たちの眠りのために、あるいは遺された者たちが死者を鎮魂するために、残されているかのような炎天下の乾いた瓦礫の平原・・・。124

あまりの果てしない磁場に、私は現実感はもとより、いつしか非現実感さえをも、失っていくようでした。何かの映画で見たような既視感さえも生まれてきて・・・。

しかしもちろんまだ、おおぜいの行方不明者もいるはずです。

そこここに、ペットボトルや花が備えられていました。
中には赤いお地蔵さんのように消火器が集められて置かれていました。
津波だけではなく、ここでは火事があったのです。                
門脇小学校はまるで爆撃を受けたように全体が無惨に焼かれていました)143_2

一面にあふれていたのは瓦礫になった無数の人生と歴史。
いいえ、瓦礫だけではない。
人形、食器、ノート、携帯電話、カメラ、文房具、楽器、アルバム、CD、衣服、片方の靴…あらゆる日用品もまた陽に晒されていたのです。
それらは全てかつての生活の記憶を生々しく伝えるものであり
恐らくその何割かは遺品でもあるでしょう。
コンクリートの瓦礫もまた、かつて家々の一部であり
日々の生活のざわめきを受け止めていたのです。

つまり、そこにみちていたのはすべて                  139  
わーんときこえない音波を放つ、言葉を超えたコトバだったのです。

テレビ画面で見た、津波がさらい残した家々は
実際見ると外観はまともでも、内部は無惨に空洞でした。
内臓を掻き出された動物のように、魂を奪われた肉体のように。
あるいは反対に悲痛な魂だけが残ったのかもしれません。
声もなく叫ぶ顔、えぐられた顔、泣きくずおれた顔・・・
新しい家ほど残っていて、断熱の紙などが音もなくひらひらしているのに胸をつかれました。

ここに住んでいた家族はどんな未来を描いていたのでしょう。
子どもたちの成長をどんなに楽しみにしていたのでしょう。
すべては突然断ち切られた時間の断面を、悲しみよりも深い無表情で、ただ晒していました。

恐らく地元の人は見るのが苦しすぎるのでしょう、歩いているのは私たち以外、数人の「見学者」だけでした。

昼食兼休憩を取った西光寺には、まだ納骨できない骨壺が、三十位置いてありました。
墓地がめちゃくちゃになったから収められないのです。
すべて、3.11の死者でした。(つづく)