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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

山口の旅�B仙崎

3日の山口の旅路の続き。Imgp0099_3

秋芳洞のあと、仙崎に向かいました。
あいにく凄い嵐でしたので、海は大荒れだろうと危ぶんでいましたが、
果たして予想通り。

まずは仙崎から橋を渡り対岸の青海島へ。
まさに海に突き出ているともいえるロケーションのレストランで
美味しいウニ丼をいただきました。
店全体は怒涛に揺さぶられ、ドアは強風で押し戻される。
不安も若干ありましたが、それ以上に
生き物としての意志をむきだしにした無量の青緑色の水に
こちらの生命をかきたてられました。
台風の時、なぜか危険をかえりみず大波を見に行く人がいますが
その気持も何だか分かる気がします。

青海島から橋を戻り、仙崎駅に車を置いて金子みすゞ記念館へ。Imgp0108
じつはここに来るのも二度目です。
しかし不思議なもので中也記念館と同様、
大きさも雰囲気も記憶とは何だかかなり、微妙に違うように思いました。
(かつて訪れた観光地とはそういうものでしょうか、私自身の記憶や心のほうがのびちぢみする不思議な国のアリスのように変化して)
もちろん10年前のことですから記念館自体も変わった所もあるのでしょう。

この記念館は、みすゞ一家が営んでいた金子文英堂を
当時の場所に見事に再現しています。
本屋さんと文房具屋をかねていたお店だったんですね。
私の幼い頃にもそんなお店がまだありました。
みすゞは店番をしながら、『赤い鳥』などを読んでいたのかなあ。
投稿を始めるのは下関に移った20歳になってからですが、Imgp0110_2
ここでも詩を書いていたのでしょうか。
それは分かりません。
しかしどこにいても海のいのちとつながっている町、
鯨の胎児さえ供養するお寺のある信仰のあついまちが
詩人のたましいをしずかに揺籃していたのはたしかです。

写真下は、みすゞ(本名は「テル」、このペンネームをテルは「涼(すず)やかな篠竹(すずたけ)」から選んだそうです)が20歳になるまで過ごした部屋。
大正ロマンチシズムの匂いのする素敵な部屋だなあと思いました。
隣の部屋からはのちに作詞家となった弟正祐の「東京オリンピックの歌」(昭和15年のオリンピックは中止されました)がきこえていて、
室内の陰翳をさらにノスタルジックにしている気がしました。