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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

大斎原で朗読会を

Image958 今回も、みなで熊野を少し旅しました。
田辺から中辺路を、熊野本宮大社の旧社地である
大斎原(おおゆのはら)まで車で行きました。

熊野信仰の中心地です。
かつてすべての道はここをめざしました。

私の大好きなトポスで、
もう何度も来ました。
でも昼に来たのは初めて。 Image953
最初来たときは足下もみえない真っ暗な夜でしたが
じつは古代の人々は夜に足を濡らして川を渡って参拝したそう。

もともと熊野本宮のあった場所である大斎原は
熊野川、岩田川、音無川にはさまれた中州です。

1889年の熊野川の大洪水で
社殿など多くのものが失われ
大斎原には何もなくなりました。

本当にここにはもう何もないのですが
何もないことが
とても優しい何かであるとたしかに分かります。

木や草や石のしっとりとした存在感。
気がつけばあちこちで私たちにひそかな合図を送るかのような虫や鳥の声。

熊野はImage950
何もないということこそが何かである、と
じかに身体に伝えてくれるのです。そこがすばらしいのです。
石も葉も樹木も水も、神の座(くら)として
つねにみえない輝きを放っています。

熊野の神々が降りてきたのはこの大斎原のイチイの木だった
という説もあります。
八角の水精の石」
あるいは「三体の月」の神々。そんな神々はすてきだなあと思う。

ここで一昨年の春 
ひとりの友人が夕闇の中で詩を読みました。Image949_2
声は闇に不思議に反響し
姿の消えかけた彼女の声だけが
ぼうっと白い桜の花の声のように聞こえました。

パワースポットの母胎の内部だから声が響くのでしょうか。

これ以上詩の朗読会にふさわしい場所はないと思います。
私の夢はいつかここで熊野の詩の朗読会をひらき
みえない神々にきいてもらうこと、です。

ふとそんなことをいうと、他のみなが相づちを打ってくれました。じつは本気で考えていますので、よろしく。

それから不思議だったのは、大きな鳥居にあるのが、菊の御紋などではなく、八咫烏だったこと。神武天皇の東征が八咫烏に導かれたという神話からだと思うのですが、在日の詩人にきいたら、三本足の烏は高句麗の時代の象徴とか。熊野と朝鮮の関わりをもっと知りたいです。