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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ルーマニア映画『汚れなき祈り』

ルーマニア映画『汚れなき祈り』(監督クリスティアン・ムンジウ)をみました。Kegare3
2005年同国の修道院で実際起こった「悪魔つき事件」にもとづく映画です。

主人公はかつて同じ孤児院で育った二人の若い女性、アリーナとヴォイキツァ。
彼女たちはかつて親友以上に深い感情で結びついていました。
しかしヴォイキツァは修道女の道を選び、そこで神の愛に目覚めていきます。
彼女を失ったアリーナはやがて国を出てドイツに働きに行きます。
しかしそこでもただ一人孤独でした。
やがてアリーナはヴォイキツァに会いにドイツから戻ってきます。
そして彼女のいる修道院に滞在し、そこで事件が起きます。

孤児院、欺瞞的な里親との生活、そして冷たいドイツ社会で傷ついた果て
アリーナはヴォイキツァと共に社会で生き直したいと思い
修道院から連れだそうと思ってやったきたのです。
だから愛する人の心を奪った修道院に憎しみを覚えていきます。
そして純粋であるがゆえにつよい不信感から
司祭や修道女たちの欺瞞を見抜いていきます。

やがてアリーナは怒りと共に精神的な発作を起こします。Kegare2
持てあました修道女たちは里親や病院に相談しますが、当てになりません。
そこで修道女長はヴォイキツァに
神父に悪魔払いの儀式をたのんではどうかと助言します。
そしてアリーナは部屋に閉じ込められますが、火を放ちます。
修道女たちはアリーナを押さえつけて縛り、
板にはりつけ食事も与えず、悪魔払いの儀式が開始します。
寒さの中でやがてアリーナは衰弱死してしまいます。
救急車が呼ばれ、病院で不審な死であることが発覚します。
その後不法監禁致死罪容疑で
司祭とヴォイキツァを含む修道女たちは車に乗せられて
警察へ向かいます。

…ストーリーは以上ですが、映像も演技も演出も素晴らしかったです。

日本における宗教のカルト化や
それを促進する世間の無理解なども思い合わせ、色々考えさせられる映画でした。
またルーマニアの孤児といえば、チャウシェスク時代の中絶禁止も思い出します。
貧しくて育てられず、ホームで赤ちゃんを売る母親たちの写真もありました。
アリーナもヴォイキツァもその頃の子供なのでしょうか。
彼女たちは社会主義時代の棄民ともいえるでしょう。
またアリーナはドイツのバーで働いていたという設定ですが、
これもベルリンの壁崩壊後の貧しい東欧からドイツへの出稼ぎ労働者の急増を背景にしているはずです。

この事件を引き起こした真の原因もまた、
カルト性や集団の狂気など、宗教の側にあると言い切れないと思います。
私にはむしろ真犯人は、棄民(修道女もまた世間から排除された女性たちです)を
教会という社会の外部に押しつけ
「汚れなきふりをする」世俗社会の方にあるような気がしてなりませんでした。
ラストシーンで護送車のフロントガラスが雪解けの汚水を浴びますが、
そのシーンが象徴するのも、「汚れ」とは何か、どこにあるのか、ということではないでしょうか。

この映画で丘の上の修道院には雪が降り続けます。
降り続ける雪は、危険であるが美しいものです。
この映画で「雪」とは
信仰あるいは神への確信を象徴するものではないかと思いました。
つまりたえず降り続けなければ、そして積もり続けなければ
信仰は融けてしまう。
そして一度融け始めれば、土と入り交じり、汚れそのものとなってしまう(ラストシーンの街の汚水のように)。
つまりこの映画の「雪」とは
最も美しい信仰というものも、一度疑われ始めれば、
最も汚いものと繋がりうるということを
象徴するのではないでしょうか。

あとは教会の周囲で聞こえ続ける犬の遠吠えも気になりました。
それもまた「不信」の象徴ではないでしょうか。
村人は教会には習慣として来るのですが、本当に神を信じているのでしょうか。
あるいは、同じ神を信じているという確信から、他者を信じることが出来ているのでしょうか。
殺人犯たちも村人もそして誰しもが
自分だけを信じているだけではないでしょうか。

そのように
神、人間、社会、信、というテーマについて
美しい映像と共におのずと考えさせられる映画でした。
あるいは映画の「まなざし」あるいは「まなざされた物質」から、
こちらの思考を触発する映画とも言えます。
私はストーリーの把握は苦手なのですが、
映画におけるそのような物質の象徴性だけはいつも心に深く残されます。
それが観念的な次元を超え、
人間の現在的な矛盾を象徴するものであればあるほど―。