友人から来たメールを紹介します(本人の許可もとりました)。震災そして宮城県の補助金不交付決議に、人としてただひたむきに生きている在日朝鮮人が今どのような気持でいるかが、伝わってくると思ったので。
(しかし、先ほど、宮城県庁の担当者に電話したところ、何をきいても「えー、それは、そういう考えもあるかとは思いますがー、」と声がくぐもる一方ではっきり返答しない、不誠実きわまりない態度でした!)
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ご無沙汰をしております。
埼玉での補助金保留は完全取り消しではないとしてもひとまずは見送りとなり宮城県の出方が心配です。
ご連絡を受けると同時に抗議メールを送りました。
宮城へはまずは震災のお見舞いと共に抗議となりましたが、心中複雑な思いがありました。
我々が住みよい日本とは、同時に日本の方々も住みよい日本であると信じてやみませんが、所詮は『仮住まいの身』であることを寒々と思い知らされています。
家を流され、町を流され家族の遺体を捜すことすら出来ず、寒空の下、寒さと絶望感に打ちひしがれた方たちに涙しながら、彼の人たちのこれからの生活を案じながらも未来のため、人が人としての正当な声をふり絞り、張り上げています。
阪神淡路大震災の時と同じように、被災地では国を超え人々が支えあい、共に未来に向かい手を携え歩もうとしていることでしょう─と信じながら…
今張り上げる我々の声を、遠くない将来、被災地の方々がこれもまた震災の被害を乗り越え、より良い未来を築くための欠かせない歩みと思ってくださるだろう─と信じながら。
精算されずにいる過去を引きずりながら、祖国の統一を願い一日、一日を送る中、一世たちはすでに10%を切り、分裂の痛みを感じることなく同化していく世代が増えていきます。
民族教育こそ祖国統一の象徴と心に刻み、青春をささげた世代の痛みが今、血を流しています。
ウリハッキョのために変わらず声を張り上げて下さる河津さまをはじめ日本の皆様に心から敬意を表し、心からご健康を願っております。