#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

7月5日付東京新聞夕刊「もっと「いのちの表現」を──震災後にツイッターを始めて」

7月5日に東京新聞夕刊に掲載されたエッセイを転載します。
ここに書かれているように、私は4月末からツイッターに参加しています。いつしかすでに1000を超える呟きを放っています。他者の言葉に触発され、自分の言葉が動き出す、そして今度は自分の言葉が他者を触発し・・・140字の不思議な言葉の生命力を日々実感しています。

もっと「いのちの表現」を──震災後にツイッターを始めて
                                               河津聖恵

 四月末にツイッターを始めた。毎日、暇を見つけては、ネットの闇に言葉を放っている。これまで敬遠していたツールだったが、活用し始めたきっかけは、大震災の後、不気味に静まり返った日常に不安と疑問を感じ、もっと情報が欲しい、他人の今の本音を知りたい、刻々と迫る危機について語り合いたいと願ったからだ。

 今最もツイートされているのは、放射能をめぐる話題。数値や物質名、憶測や噂も交えて様々な情報が行き交う。それらも、直ちに健康に被害がないと腹を括り無視を決め込めば、この世に存在しないものだ。だが一旦意識すれば無意識にまで止めどなく食い込んでくる。今透明な悪魔は、現実の空気だけでなく仮想空間にさえ跳梁跋扈している。

 「放射能」。それはこれまで最も非日常的な言葉だった。最悪の危険だからこそ封じられてきたのであり、恐らく「死」や「性」や「差別」よりもタブーだった。だが今、最も語り語られねばならない不気味な呪語となった。この不可視の悪魔を、詩人はいかに詩へねじふせられるか。私は想像の被災地の瓦礫を歩む人をモチーフに詩を書いたが、放射能の詩はまだ書いていない。来るべきその詩は恐らく恐怖をテーマとせざるをえない。だが詩と恐怖の両立は難しい。ひりひりとした皮膚感覚を言葉へ昇華するほどの力を、詩人は養ってきただろうか。詩もまた、未知の領域に向かい変貌を迫られている。

 ある時「雨のように降ってくる」と書こうとして止めた。雨と抒情的に絡めようとしたのだが、やはり感傷的に思えたからだ。そのことをすかさずツイートした。「実際悪魔は四方八方から容赦なく私たちを襲っている」。すると福島の人から返ってきた。「福島の人間には、今「皮膚に染みてくるもの」なのです」。内部被曝イコール呼吸であり食物なのだ、と言い添えてあった。ストレートな表現に戦慄した。放射能が距離に反比例するように、言葉もまた、遠い被災地ではいのちの中からリアリティの濃度を上げているのだ。

 今私たちは自分自身の恐怖に耳を澄まし、それぞれの「いのちの表現」を率直に持つべきだ。「一人一人の静かな絶叫のようなコトバしか、この諦念しきった無感覚な空気は切り裂けないから」。自分自身へ言い聞かせるようにツイートすると、ネットの闇はしばらく引用を繰り返し、やがて「集合的無意識」の闇の奥へと吸い込んでいった。