昨日2月16日は、詩人尹東柱の命日でした。
京都で詩人が住んだアパート跡に建てられた
京都造形大学高原校舎にある詩碑の前で、正午に追悼式が行われました。
私も行ってきました。
大勢の人が献花に参列しました。
詩碑に刻まれた「序詩」にいまだ生きる詩人の魂が
御影石にきれいに映る今日の青空を見上げているようでした。
石には青空を背景に
花を捧げるひとりひとりの影も静かに映り込みました。
おそらく参列者には詩人の遺族はいません。
六十六年の時をへだて
詩人の詩と魂を純粋に愛する人々が集ったのです。
その事実自体がまさにこの詩人の、そして詩の勝利の証です。
序詩
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱《はじ》なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹きさらされる。
(伊吹郷訳)
この「葉あいにそよぐ風にも」「心痛んだ」という
「恥辱」への感受性こそが、今も、もとめられているのだと思います。
六十六年後のいまもなお。