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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「絶え入る」考

3日の「東柱を読む会」から、どこかでずっと東柱の詩について考えさせられているようです。折しも7月は東柱が逮捕された月。そういう意識も作用しているのでしょうか。

序詩
              尹東柱
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいに起きる風にすら
私は思いわずらった。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。
                                  (金時鐘訳)
                                 

数ある翻訳の中で
私がこの詩に最初に接したのは、金時鐘訳ででした。
金氏の日本語には
どこか、葉が風に不吉にそよぐようなたどたどしさ、
を感じました。
暗く甘美な回りくどさとでもいうのでしょうか。
「一点の恥じ入ることもないことを」はイ音
「葉あいに起きる風にすら」ア音とイ音
「風にかすれて泣いている」ア音とイ音とエ音
によって巧みに音韻上の起伏が作られています。

しかし私が一番強い印象を受けたのは「すべての絶え入るもの」の
「絶え入る」。
ここは他の訳では
「死にゆくもの」「生きとし生けるもの」などとなっていますが
「絶え入る」というのは
「絶滅」=虐殺=ジェノサイドを連想させることから
意味の上でも原詩に近い可能性があるのではないか
と思うのです。
また意味ともあいまって
「タエイル」という音の連なりの
音韻である「アエイウ」は
苦悶の喘ぎのようにも感じられます。
「とりわけ「アエ」の響きが暗く
死んでいく者たちが地の底からあげる声に
一番共振するものではないでしょうか。

「死にゆく」の音韻は「イイウウ」
「生きとし生ける」は「イイオイイエウ」
いずれも「ア」がないのです。
また子音も多く、とりわけk音が気になります。
私の印象としては
前者は「ゆく」が、意味としても音としても
ポジティヴな気がします。
また後者は意味としても、またリズムからも
地の底と真逆に、死者がすでに光が満ちた場所にいる印象があるのです。

ここは、
一行目の「天を仰ぎ」の、詩人の上方への悲痛な意志と引き合うように
上を見上げることもなく死んでいく者たちの
無惨な重力を表す必要があるのではないでしょうか。

以上のような理由で金時鐘訳の暗い「絶え入る」は
もしかしたら一番詩人の真意に近い日本語訳かもしれないと私が思うものです。